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50mm、1本1回勝負 その2

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「深川フォトセッション」、先日廻れなかったところに行く。
・兼平雄樹、「同潤会清砂通りアパート」、深川資料館通り商店街事務所2F
・遠藤志岐子、「水の流れる町で~その3」、深川番所
・高野ひろし、「ぼくはこうやって、街で遊んでいるよ」

同潤会アパートを撮っている人は多いけれど、兼平さんは実際に住んでいて取り壊しまでを撮影している。この展示はその再現とも言える。ロール紙への大プリントと、スライドで見ごたえがあった。

遠藤さんはピンホールでの撮影。フォーマットが6×6、6×9、4×5、パノラマと多彩。そのために、ピンホールの作品というと静かな印象を受けるが、活き活きとした感じを与えている。パノラマの作品で清洲橋を撮ったなかに大胆なアングルがあって楽しい。

高野さんはペンギンの模型を町の中に置いて撮影。多くの作品を1枚1枚見ていてくとペンギンが町の溶け込んで不思議な物語が生まれてくる。


◆畠山直哉、「線をなぞる / 山手通り」「Slow Glass / Tokyo」、タカ・イシイギャラリー
「線をなぞる」は大判カメラでスナップを撮ったように見える。
ギャラリーのキャプションには、「都市と自然の境界へ鋭い疑問を投げかけているようです」とあるけれど、どんな疑問かよくわからない。
それよりも畠山さんのテキストに「隠喩」という言葉を使われており、それが手掛かりになりそうだ。
そこで言おうとしていることは、世界はひとつではない、世界は金太郎飴ではない、ということか。
隠喩ということでは「Slow Glass」のほうがわかりやすい。
離れて見ると、単に水滴のついたガラス越しにボンヤリと風景を写っているだけに見えるが、近づいてよく見ると水滴ひとつひとつに風景がクッキリと写り込んでいる。
水滴の中の風景が現実であり背景のボンヤリした風景は虚構ではないか、という逆転した見方もできるし、水滴ひとつひとつは違うように世界もいろいろな見方ができる、というふうにも見える。


先日と同様、マミヤ6+50mmがお供。4本撮る。
回っている先々で写真家の大西みつぐさんと顔を合わせる。お互いがストーカーのようでもあり、最後はどちらも苦笑いするしかなかった。
# by pprivateeye | 2010-07-20 22:51

BiogonT* 21mmF2.8

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暑くて昼間は出かける気がしなかった。
しかも月曜日で祝日となると、大抵のギャラリーはお休みだ。
写真を撮りに行きたいという気持ちだけはあって、どうしようかと思いながらウトウトしていた。
ようやく3時過ぎに自転車で近所を廻った。
お供のカメラはContax G2 + Biogon 21mm。
CL vol.6にコンタックスGシリーズの記事が出ていて、久しぶりに使ってみたくなったのだ。
自転車に乗ってのお散歩写真だが、ビューファインダーを覗いて写る範囲の広さにやや戸惑いながらシャッターを切ると、ジッという音が写真を撮る楽しさを掻き立ててくれて、3本も撮った。
# by pprivateeye | 2010-07-19 19:13

50mm、1本1回勝負

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今日から始まった「深川フォトセッション」に行ってきた(7/25まで)。
見たのはこの展示。
・TAP Gallery、村越としや「untitled」
・深川Labo、木下奈緒美「children know the Truth」
・深川いっぷく、門井幸子「かわむこう」―わたしの東京―
・旧樫村精肉店、佐久間元「そこへゆけ」
・善福寺壁面、齋藤明彦「静物」
・onnellinen、大西みつぐ「近所論―青い夏―」

村越さんはこれまでの田舎の風景ではなく、室内を撮影したものが2種類。学生時代に同潤会清砂通りアパートを撮影したものと、昨年お祖母さんが亡くなったときのもの。後者は葬儀の場面が写されているわけではないが、喪失感とでもいうべきものが cool & wet に現れている。作者の別の面が伺えて新鮮だった。

門井さんは今回最も多くの作品を展示している。川の作品がメインで展示されているが、これまでの作品もそれぞれ手に取って見ることができる。

「同潤会清砂通りアパート」の展示は会場が土曜日休みのために見ることができなかった。残念。
また、ピンホールの作品も会場が少し離れていたので、次回に持ち越し。


今日のお供はマミヤ6+50mm。
モンゴルでは露出計を信じなかったので、今回はすべてAutoで撮影。絞りはf16固定。
快晴で日射しがまぶしかったが、空が大きく入るカットでも1/500sec・f16でオーバーにはならなかった。モンゴルでは日が傾いてきているのにこれではオーバーなことが何度もあった。
もうひとつ縛りは、1モチーフにつき1回しかシャッターを切らないないこと。
縛りを設けることで撮ることが潔くなったような気がする。気分良く6本撮った。
# by pprivateeye | 2010-07-17 21:38

梅雨は明けたのか?

梅雨は明けたのか?_f0067724_2381100.jpg


畠山さんも昨日紹介した本のなかで書いている(しゃべっている)。

  漏斗のように中心に向かってすぼまってゆく空間に、ゆるい曲線のひねりが加わり、動きが生じる
  ように感じるのです。カメラのファインダースクリーンで像を見ると、川の奥行きが、放射状に広がる
  線と面に変換され、なかなか面白いグラフィックになります。カメラを持った者だったら、必ずシャッ
  ターを切ってしまうような、そんな視覚的な魅力が、この空間にはあります。

渋谷川の上には青い空が広がり、白い雲が流れていた。



◆渡邉博史写真展「Love Point」、銀座ニコンサロン
大全紙、約30点。プリントするサイズは大四つ切に決めていると聞いていたので、この大きなプリントについて伺ったら、アメリカのギャラリーの要望とのこと。彼らはあまり多くのプリントを扱いたがらないそうで、その分、大きなものが好まれるとのこと。
あることについていわば「いたずら心」でやったのだがと言われたが、あやうさ、あいまいさ、いかがわしさといったリアルと虚構の境い目を楽しむシリーズといえそうだ。
渡邉さんはスクエアというフォーマットを利用して、天地左右には厳格にはこだわらず、今回も面白いところにノッチが来ていた。


◆「風景/所在値、15人の視覚提言」、工房親
15人の作家が新旧2点の作品を展示。写真だけでなく、ペインティングも数名。
よかったのは展示順に隼田大輔、白岡順、田嵜裕季子、広田敦子、越田滋というところか。
田嵜さんはぐにゅぐにゅとしたマンジュシャゲ、広田さんは見えそうで見えない風景の形が面白い。
他には宮本さんの赤ん坊の手のクローズアップ。半透明のガラスがその存在のはかなさ、あやうさを連想させて面白い展示だ。
# by pprivateeye | 2010-07-16 23:09
日本代表などの試合に対して、「感動をありがとう」と言うのは、直感的に、生理的に、嫌悪感を覚える。
サポータは選手と一緒に戦っているなんて言っているが、ではベンチで控えている選手が試合で頑張った選手に「ありがとう」と言うか。
決してそんな他人行儀なことは言わない。言うとすれば「よくやった」だ。
ならば、サポータも代表が頑張った試合に対して「よくやった」と言うべきだ。
感動をありがとうなんて言うことは、相手(代表)との距離感があることを示している。相手を娯楽か何かの媒体(?)としてしか見ていない。楽しませてくれてありがとうと言っているのと同じだ。
それに「感動」とか「感動的」とかは客観的に、第三者的に使用するものだ。当事者が使う言葉ではない。
私は感動しました。これではまるで外国語を直訳したように聞こえる。
一緒に戦っているのなら、「感動をありがとう」と言うな。
# by pprivateeye | 2010-07-16 22:06

写真について、極私的な、 あれやこれや


by pprivateeye