Private Eye

ppeye.exblog.jp ブログトップ

<   2018年 07月 ( 2 )   > この月の画像一覧

Simply B&W 2

f0067724_20464947.jpg
f0067724_20465717.jpg


2018年7月24日(火)

iPhoneの無料アプリに「Simply B&W」という、モノクロ変換専門のアプリがある。このアプリはフィルムシュミレーション的なもの、カラーフィルター的なもの、明暗・コントラスト・粒子をそれぞれ設定できるものと三種類の変換方法がある。フィルムシュミレーション的なものを使うとT-Maxは比較的ツルんとしているが、Trixは粒子感が強く出るといった違いがある。
普段は明暗・コントラスト・粒子をそれぞれ設定していることが多い。
また、撮るときに直接変換するだけではなく、すでに撮ったデータを使って変換することもできる。
上記の写真はカラーで撮ったものを後からモノクロに変換したもの。
印画紙でプリントする場合、コントラストは調整できるが、粒子感はフィルム現像に左右される面が強いので、自分の好みに仕上げるのは難しいと思う。
それがこのアプリでは簡単にできてしまう。この「簡単に」ということにどういうふうに向き合うか、付き合うかが悩ましいところだと感じている。



  






[PR]
by pprivateeye | 2018-07-24 20:47 | Comments(0)

W杯だから、(自分の)サッカーの話

f0067724_15262423.jpg




2018年7月13日(土)W杯ロシア大会決勝を前に

中学の3年間だけ部活でサッカーをやっていた。ポジションはDF、当時はバックス(BK)と言っていた。3年生のときには主将を務めた。1年生で入部したときには3年生がほんとに大きく見えて大人だなと思った。

3年生が夏で部活動を終えて、秋頃から起用されるようになった。当時は4バックスがほとんどで、左のサイドバックが最初のポジションだった。FW対BK形式の練習では対面の右ウイングとマッチアップすることになるが、その先輩がゴリゴリとドリブルを仕掛けてくるタイプで散々振り回された。後々それで当たり負けせず粘り強く守備ができるようになった(と思う)。2年生になってからは3年生の主将とCBを組むようになった。

DFとしては、常にボールとゴールの間に自分を置いておきたい、つまりゴールを背にしてボールと対峙していたい、という心理が強かった。

対外試合での守備で鮮明に憶えていることが二つある。
一つは相手FWが抜け出してGKしか残っていない場面で、そのFWに追いついてボールにスライディングタックルをしてピンチを防いだことだ。心の中でガッツポーズをしていたと思う。
二つ目は強力なFWが2人いる学校と対戦したときだ。圧倒的に押し込まれているとき、強烈なシュート力を持つ選手が絶好のタイミングでシュート体勢に入り右足を振り抜いてきた。それにぴったりのタイミングで左足を出してシュートをブロックすることができた。試合中しばらくは左足が痺れたようになっていた。

得点の記憶は一つだけ。
ハーフウェイを越えたあたりの右側からクロスにボールを上げたのだが、思ったよりも内側に行き、しまった、ミスキックだと思った。そのゴール方向に向かったボールはGKを越えてそのままゴールに入ってしまった。得点となってからは気恥ずかしい思いがした。

少し誇りに思っているのは、学校の所属している地区の代表メンバーに選ばれて浜松まで遠征したこと。そのときの試合で覚えているのは左サイドバックで出場したとき、見方が右サイドから攻撃していて全体のラインを上げていたのでそれに合わせて上がろうとしたら、ベンチからお前はそのままバックをケアするように言われた。そのとき相手陣内の右サイド奥(つまり自分からは一番遠いところ)でボールを追いかけている味方のウィング(他校の選手)を見ながら、あいつは小さいけどよく走るなあ、追いつけよ、と思っていた。

高校では野球部に入ったのだが、中学のときサッカーをやっていた同学年の生徒(別の中学)から、何でサッカーやらないの?、と言われたことがある。これが、人生でもしあのときこうしていれば、と思う唯一のことだ。高校でもサッカーを続けていたらどんなふうに違っていたのだろうか。

中学2年のときにW杯メキシコ大会が開催され、ペレのいるブラジルが優勝。これは3度目の優勝で規則により当時の優勝トロフィー「ジュール・リメ杯」の永久所有権を獲得した。その後このカップは盗難にあい、行方知らずとなっている。、次の1974年西ドイツ大会からトロフィーの名称が現在の「FIFAワールドカップ」に変更された。
準決勝でイタリアと西ドイツが対戦。イタリアが先制したが、ロスタイムに西ドイツが追い付いて延長戦に。延長戦では西ドイツがあの爆撃機ミュラーのゴールで先手。その後イタリアが同点、逆転のゴールをあげる。延長後半には再びミュラーの得点で西ドイツが追い付くものの、すぐにイタリアが勝ち越しゴールをあげ4-3で勝利する。延長戦に入る前にベッケンバウアーは右肩を脱臼していたが、交代枠が残っていなかったので包帯を巻いて最後までプレーした。
という記事をサッカー雑誌で読んで大いに興奮した。西ドイツの選手は上記の2人のほかにシュネリンガーとかゼーラーとか名前を憶えているのだが、イタリアの選手は記憶にない。しかし、不思議なことにこの記事でイタリアを応援するようになった。

クラブ世界一を決めるトヨタ杯でユベントスのプラティニが来日したとき、「笑っていいとも」に出演したのをTVで見ている。サッカーファンの明石家さんまは大興奮大照れ状態だった。プラティニはそんなに大きくなく周りの芸能人と同じくらいだった。

福岡空港のロビーの隅の椅子に2人並んで座る外国人がいた。近くに行くとそれが鹿島アントラーズのレオナルドとジュルジーニョだった。そのときは、ああ、そういえば福岡で試合があったな、くらいしか思わなかった。その後。レオナルドはACミランのテクニカル・ディレクターをやっているという記事を読んで、ああ、世界は繋がっているんだ、と思った。











[PR]
by pprivateeye | 2018-07-13 15:39 | Self Portrait | Comments(0)
line

写真について、極私的な、 あれやこれや


by pprivateeye
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31