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市ヶ谷

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カロタイプで講評講座。
台風のため集まる人数は少ないだろうなと思っていたがそうでもなかった。
それでも必ず出席していた人が休んだり、休みだろうなと勝手に思っていた人が来たりした。
肝心の台風も上陸せず大雨にならず、肩すかしのような、よかった。
で、Horizon シリーズのほうは調色の件で足踏み状態。
白岡さんが失敗プリントで試しに調色をやっているのだが、なかなかゴーにはならない。
ということで今回も見せるプリントはなく、見るだけ、話すだけとなる。
しばらくプリントしてないなと言ったら、水平線があるじゃないと言われたのだが、自分のなかではもう別物になっていて早くフィニッシュしたいという感じだ。
振り返ってみれば、今日のテーマは「工芸品を目指すのか、アートを目指すのか」ということか。
by pprivateeye | 2010-10-30 23:23 | Comments(0)

memo

写真の「両義性」とはつまり、現実を目の当たりにし忠実に記録する客観的なメディアである一方で、多種多様な精神状態、欲求、個人的/集合的な衝動をとらえる自己表現手段としての主観的なメディアでもあるということである。

写真の両義性とはまた、アメリカの写真家ダイアン・アーバスが「秘密についての秘密」と呼んだ性質のことであり、また写真に偶然出くわした人たちにとっても多義的でもあるということだ。


                                          『PHOTO : BOX』 青幻舎より
by pprivateeye | 2010-10-28 17:53 | Comments(0)

日比谷線な、日々。

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◆目羅 勝 写真展「亜米利加国 Ⅲ」、エモン・フォト・ギャラリー
4×5のモノクロで撮られた米国南部。
まったく人は写っておらず、静かすぎて怖くなりそうでもある。
2001年以降に撮られた作品だが、30~40年前のものと言われてもわからない。
それくらい米国という国は変わっていないと思う。


◆中道順詩写真展「Biginning...」、ギャラリーE・M西麻布
作者が1970年、学生のときにシベリア鉄道経由でヨーロッパ、米国へ行ったときの作品。
モノクロ、35mm。
なんかあまりいまと変わっていないような印象だ。少なくとも40年という歳月は感じない。
キャプションを読むと、ストックホルムでジミ・ヘンドリックスのコンサートを見て感動した、とあった。このときの演奏はCDになっており、好きでよく聴いているのだ。


この2つの写真の作者はともに1948年生まれで、広告の分野で活躍していた人だ。
80~90年代は広告写真全盛期と言ってもよく、そのころ広告の第一線で活躍していた人が最近プライベートで撮っていた作品を展示するケースが多くなっているように思う。
こういった人たちは技術的には完璧といっていいと思うので、そういう意味では羨ましい。


◆「more trees展―森を感じる12日間」、アクシスギャラリー[シンボジア]
「もっと木を」という運動の、一種のチャリティと理解。
20名の写真家が参加しており、その作品が国産ヒノキ材を使ったフレームと込みで5万円あるいは10万円で購入できるというもの。一人1~2点だけ。金額の違いはプリントサイズの違いで、5万円のものは四つ切、10万円が全紙で、全紙の作品は数点だけ。
カラーの作品がほとんど。
参加作家は瀧本幹也、広川泰士、平間至といったゼラチン・シルバー・セッションのメンバーとけっこう重なっている。ホンマタカシ、松江泰治、長島有里枝といった名前もある。
広川泰士の作品で少し迷ってしまった。4年前のゼラチン・シルバー・セッションで4人が同じネガを焼き比べしたときのイメージが出品されていたからだ。
全体を見ると、澁谷征司のがよかったかな。
松江泰治に期待していたのだが、彼の作品は数多くコレクションすることで意味がでてくるように思った。
by pprivateeye | 2010-10-27 20:05 | Comments(0)

牡蠣を食す。

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◆松江泰治「survey of time」、TARO NASU Gallery
映像作品が7点、うちカラーが6点。と、35mmのモノクロ、11×14が15点。
モノクロの作品は街中の道路の縁石や階段などコンクリートを撮影。比較的コントラストは高めだ。
これまでの作品とはまったく異なるので、名前を伏せて見れば新しい人の作品かと思う。
内容的には、まだ模索中という印象。
映像作品は、これまでの作品を映像に置き換えたものと言える。
約5分間の作品。動いているものは車や人だけで、それも少しだけだ。
映像はかなり鮮明なので、これまでの作品を5分間じっと見ているような感じ。
最後(あるいは最初)にコード記号らしきものが表れるが、これがタイトルでこれまでと同様その場所の略号だろうか。
これらの映像はどれくらいの時間撮影され、どれくらい編集されているのだろうか。


◆PIPPOワークショップ第一期山崎塾展「11×14 Fine Print Session」
写真家の平間至さんがレンタル暗室とギャラリーをつくったと聞いていたので見学に行く。
現在展示されていたのはプリント・ワーショップの受講生の作品。
女性が多く、男性は一人だった。
WSは山崎さんが指導→自分でプリント→講評→再度プリント、という過程でファイン・プリントを目指すというものとのこと。



写真仲間のお誘いで丸千葉という居酒屋へ。男ばかり4人集合。
このメンバーならということで、最近見た写真展の疑問を話す。
牡蠣がおいしかった。フライ、鍋、そのおじや。
by pprivateeye | 2010-10-26 23:12 | Comments(0)

読書

ウォーホルの芸術 20世紀を映した鏡 (光文社新書)

宮下規久朗 / 光文社



読了。
ウォーホルの作品は「商業美術」→「純粋芸術」→「ビジネス・アート」といった流れがある。
その底辺に流れているのが「死と生」であり、表現しようした(のかな?)ものが「聖と俗」ということか。
最後に目指したものが「イコン」のようだ。
このことに関しての引用。

  ・・・、ウォーホルが芸術家の個性や精神よりも作品そのものの力を信じていたことを示しており、
  世に出た作品を作者という小さな枠で考えてほしくないという願望の表れでもある。作品は芸術家の
  個性が作ったものというより、天与のもののように存在すべきであり、すべて受け取る側次第である
  ということである。


本の最初のほうに、作者の個性とか精神とかいったものは近代以降のものである、というようなことが書かれていた。
これを写真について考えてみると、写真とは近代という時代が生んだものであり、その機械的な構造や成り立ちがいかに客観的であっても「個性」や「精神」が付きまとうのは避けられないことか。
つまり、「イコン」のように聖性を持つようになるのは難しいことになる。
その意味からすれば、ブロマイドは似非イコンということになりそうだ。
by pprivateeye | 2010-10-25 22:47 | Comments(0)

阿佐谷 JAZZ STREET 2010

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誰かのアルバムのジャケットにあったような写真。


この「阿佐谷 JAZZ STREET」は今年でもう16年目だそうです。
東京メトロ・南阿佐ヶ谷駅とJR阿佐ヶ谷駅の間の中杉通りを中心にしたジャズのイベントです。アマチュアだけでなくプロのミュージシャンも参加しています。当然、有料。1日パスポート券が3000円でした。
昨日は山下洋輔ニューヨークトリオの演奏があった。
それを知ったのはTwitterで師匠がつぶやいたのを見てだった。直前だから行くのは無理。聴きたかったなー。


ということで、今日はしっかりとたっぷりジャズを聴いてきた。

「Mike Price Jazz Quintet」 マイク・プライス(tp)、大山日出男(as)、ジョナサン・カッツ(p)、芹澤シゲキ(b)、稲垣貴康(ds)
リーダーのマイク・プライスは原信夫とシャープ&フラッツでソロを吹いていたらしい。
久しぶりにトップシンバルの音を間近に聴く。

「池田篤トリオ」 池田篤(as)、島田剛(b)、高橋徹(ds)
けっこうソリッドなトリオだった。ドラムが強力。

「峰厚介・阿佐谷カルテット」 峰厚介(ts)、清水絵里子(p)、井野信義(b)、村上寛(ds)
人気バンドで、開演30分前に約30人の列。定員160名の会場で席の周りは立ち見でいっぱい。
このドラムはさらに強力。ピアノが女性ということもあって終始押され気味だった。

「スーパージャムセッション」 この日それぞれの場所で演奏したミュージシャンが多数集まる。
ジャムセッションということで演奏曲はスタンダードで、テーマの後それぞれがソロを持ちまわるという、ある意味ではワンパターンだが、やはり生で聴くと楽しい。
ボーカルの人もいたので、リクエストができるものならば最後の曲はラバカン(Lover, Come Back To Me、恋人よ我に帰れ)がよかったなー。


ということで(2回目)、Now Listening :

ダイナ・ワシントン・ウィズ・クリフォード・ブラウン

ダイナ・ワシントン / ユニバーサル ミュージック クラシック


by pprivateeye | 2010-10-23 22:54 | Comments(0)

石元泰博写真展

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水戸芸術館にあるこのタワー、気になる。何回もシャッターを切るが、撮らされているようだった。


◆「石元泰博 写真展」、水戸芸術館現代美術ギャラリー
ギャラリーのフロアは板張りで、古くなった体育館のようだった。
個々の作品のキャプションは一切なし。ポートレートの人物名もなし。
フレームはすべて16×20のシルバー、P.G.I.のもののようだ。
小さな子供連れの若いお母さんが多いなと思ったら、「赤ちゃんと一緒に美術館散歩」というイベントのひとつだった。

Impression
by pprivateeye | 2010-10-22 21:07 | Comments(0)

似非 Cool Struttin'

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◆岡嶋和幸写真展「くろしお」、UP FIELD GALLERY
スローシャッターを使い、波をモノクロで撮影。
波や光りの反射が流れて、模様のように見える。
最初に見たときは「おっ」と思ったのだが、何度も見ているうちに全体が似たパターンとなり、模様のように見えることが気になりだした。
形がないと、長く引っかかるものがないのかもしれない。
その中では奥のスペースの右手に展示されている波が砕けた作品が印象に残った。


◆安武はるか写真展「遠ざかり」、GALLERY mestalla
カラーとモノクロで、6×7(だと思う)、タテ位置だけ。
住宅地の道路を撮影。消失点(道路の奥)を画面中央に置いている。
天気は曇りで、そのため空は白く、影がない。道路には人影もない。
モノクロよりもカラーのほうが湿気を感じて、いいかなと思う。
展示は四つ切サイズだが、天井から床まで届くような大きなサイズで見せると、ヨーロッパの人たちには受けるのではないだろうか。
by pprivateeye | 2010-10-19 20:45 | Comments(0)

神宮の森 2

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◆所幸則写真展「写真における新しい取り組み」時間の流れへの考察、ギャラリー冬青
1秒間に撮影した3枚の画像を重ね合わせて作品にしたもの。
以前にGALLERY 21で見たことがある。
カラーで人物の動きを捉えた作品では、脚立を登る女性の動きがデュシャンの「階段を下りる女」を連想させた。
都市を撮影したものでは、重慶がガラスに映ったビルが歪んでいて未来を暗示しているようだ。また、モントリオールではシェークスピアのマクベスが浮かんできた。古い街並み、曇った空、シルエットになった女性の動きなどから連想したのだろう。


◆コニカミノルタプラザ
ギャラリーA 佐野剛成「なぜなら風がその路上で停滞したゆえに」
何気なく見える作品だが、撮られた量と、慎重なセレクトが背後にはあるようだ。
尾仲さんのWS出身の人だった。

ギャラリーB 武田充弘「The Rhythm of Ganga」
ガンジス河上流からベンガル湾にそそぐまででの川沿いの人々を撮影。
地図を見ると日本列島を縦断するくらいの距離があるのだが、写されたインドは驚くくらい同じだった。

ギャラリーC 橋本聖一「ヴェネチア」
ヴェネチアとその街並みを清掃している人を撮影。
モノクロの作品で、タテ位置が多かったな。
ストラビンスキーの墓と、ヒデヨシのような猫がいた。


◆「M's7 Photo Exhibition」、ICHYS GALLERY
パーティに参加。おいしい日本酒、パンをいただく。
WSのメンバーがほとんど。
毒舌(?)講評あり(なぜかその一人に)、楽しい集合写真撮影もあり。
by pprivateeye | 2010-10-16 23:23 | Comments(0)

「表現者」

主題の面白さ、不思議さ、魅力・・・等に惹かれて撮る写真がとても多いい様な気がする。
写真とは主体である 、自分自身の内なるものを主題の力を借りて、どう表現して行かねば成らないに事に思いを致さねばならない。
主題の形や面白や自然が作り出す造形美だけでは写真作品には成らない。
記録写真としての存在価値は生じると思われるが。



これは冬青社の高橋社長のブログ からの引用。

白岡さんがよく口にする、「この作品は記録ですか、それともあなたの内面の何かを表したものですか」ということと、ほとんど同じだ。


そうだよね、写真も「表現」というのだから。

そういう意味では現代アートの人たちは潔いと思う。
彼らの作品は、一般の人からみれば「?」がいっぱい付くもので、人によってはガラクタと思われてしまうかもしれない。
しかし、彼らはそれを制作せずにはいられない(ようだ)。
そのあたりのキッパリしたところが写真をやっている人よりも強いと思うし、もっと自覚的だ。
by pprivateeye | 2010-10-15 21:03 | Comments(0)