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中華街~山下公園~赤レンガ倉庫~横浜駅

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この写真を撮っていたら、自転車に乗ったおじさんが来て、折りたたみの簡易椅子を広げながら、
「ここで写真撮ってる人は田舎から来た人だよな。どこから来たの?」
「千葉からです」
「バス?」
「電車です」
この後、隣にいたおばさんがシャッターを押してくれとカメラを差し出したら、おじさんが「俺が撮ってやるよ」としゃしゃり出てきた。


8月19日(水)

・阿部直樹写真展「斑な日」、GALLERY PAST RAYS
これまで見てきた作品とは違った印象を持った。記憶にあるのは真昼の陽射しが作る影とその風景、といったものだが、今回の作品はもっとぼんやりしたもので、DMに使われたイメージのように幻想的、あるいは夢の中の出来事という感じだ。だから見始めたときはガラスにビルや人影が写り込んだ新宿(?)などがいいなと思ったが、何度も見ていくうちにモノの輪郭がきちっとしたものよりもカーテン越し(?)の海の船のような作品が気に入ってきた。夢の中の世界と思ってしまったからだろうか、より広い世界に感じられた。


・蔡國強 展「帰去来」、横浜美術館
火薬でカンヴァスに絵を描くという手法だけが目についてしまった。ビデオの中でも作者自身がコントロールされ得ないもの、偶然性ということを話していた。実際に描かれているのは新作の「人生四季」四部作では男女の睦みあいであり、磁器タイルを使った「春夏秋冬」は花そのものと、具象的なものを描いている。で、そこで表現されているもの、精神性のようなものがわかりづらかった。タイトルやそのモノから東洋的(東アジア的?)のようなものはある。決してキリスト像を描いているわけではない。
その意味では2006年と少し前に制作された「壁撞き」がわかりやすかった。99頭のオオカミが透明な壁にぶつかり跳ね返されている。99という数字は完成されていないもの、オオカミは生命の象徴、飛んでいる(宙に浮いている)のはその生命の躍動、透明な壁は障害(乗り越えられないもの)、といったものの象徴だ(と思う)。特に透明な壁についてはテキストに、ベルリンの壁崩壊後の東西ドイツのなかなか乗り越えられないお互いの違いというものが契機となったと書かれていた。それを読んだときは壁に少しヒビが入っていればいいのにと思った。まったく無傷の壁のままならその障害を克服できないままになってしまうが、ヒビが入っていれば壁を壊すことができるといった将来への希望が生まれるのではないか。それだとロマンチックになり過ぎかなあ。
他には「朝顔」がよかった。テラコッタ製の無数の朝顔が天井から一本の木に巻き付きながら降りてきて、先端は床に届かずに浮いている。柔らかい朝顔の花が土(焼き物)で作られている、その土が宙に浮いている、という相反するものが内包されている。だぶんここで重要なのは空中に浮いているということだと思う。上から降りてきているので重力はあるわけだ。しかし、地上には降りてこない。ここにも象徴的な意味を読み取れそうで面白い。
by pprivateeye | 2015-08-21 09:43

写真について、極私的な、 あれやこれや


by pprivateeye