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「まなざし」

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ようやく東京国立近代美術館で、高梨豊「光のフィールドワーク」を見てきた。
作者のクールな視線、乾いた視線というものを感じた。
師匠が高梨さんに、フォーマットは必然ですか、それとも感覚ですか、と以前尋ねたときに、必然ですという確固たる返事が返ってきた、という話を聞いたことがある。
この回顧展を見て思ったのは、コンセプトをしっかりと立てて撮影する人だなということ。

1970年代半ばに撮られた「町」のシリーズが一番良かった。これはポジかな。
清洲橋のオリジナルを見られて良かった。この「都の貌」シリーズは6×7で撮られていたと初めて知った。

そして、写真集のときから『地名論』が面白くない理由を考えてみた。
6×7のフォーマットか、スナップ的な撮り方か、モノクロだからか、といろいろ考えた結果、コンセプトとアプローチにズレがあるからではないかと思いついた。
会場ガイドによればこのシリーズは、「界隈を失った東京」を「時間的アプローチ」によってとらえようとした。その時間は「歴史」ではなく、写真家一人がむきあえる時間=「履歴」と読みかえられている。
しかし、「界隈」とか「失った」というものは「歴史」的な時間がもたらすものだ。
にもかかわらず、それを個人的な時間によるアプローチでとらえ、表現しようとすることは無理があるのではないか。
そのため表現の方向が見えなくなってしまい、シリーズ全体に焦点が絞れないのだと思う。

3Fの写真コーナーは、神谷俊美「東京神話」。
東京をスクエア・フォーマット(ローライ?)で撮影した、モノクロ作品だ。以前にパストレイズで見たものと同じだ。
実はこの作品が展示されているのを知って、えっと思った。
イメージの左右が半月状に露光不足となっているのがはっきりとわかるプリントが何点かある。この症状は自分の引き伸ばし機も同じで、散光式の引き伸ばし機の電源が弱くなってきているためだと思う。

2F「コラージュ ―切断と再構築による創造」で初めて、いわゆる「コーネルの箱」を見る。作品は「ウィーンパンの店」。思っていたよりも大きな作品だった。
写真は、鈴木崇「Altus」と杉本博司「海景」、それぞれ2点。
おっ、この赤いのがいいなと思って近寄ってよく見たら、ゲルハルト・リヒター「抽象絵画(赤)」だった。
日本の現代作家のスペースは白木ゆり、エッチング。線や点による抽象表現。「SONIC」連作がよかった。アーティスト・トークの模様がビデオで放映されていたが、このトークをDVDにまとめて販売してくれないかな。
by pprivateeye | 2009-03-06 23:23

写真について、極私的な、 あれやこれや


by pprivateeye