Private Eye

ppeye.exblog.jp ブログトップ

七夕の日にロッシに遭遇(^^)

f0067724_19354152.jpg

2017年7月7日(金)

・石川公子写真展「常世」、Place M
異世界とのつながりを意識しながらもこちら側に位置する、といった感覚の世界。主にモノクロの風景。展示数がもう少し少なくてもよかったような気もする。

・吉井ただゆき写真展「風のある場所」、RED Photo gallery
モノクロのスナップ。人物をノーファインダーで撮影。お台場と思われるところが多いので、風よりも水かなと思った。

・藤原敦写真展「蝉丸」、蒼穹舎
最初にパッと見たとき、なぜかホッとした。モノクロでやや高めのコントラストが好みに合っているようだ。作者の故郷を撮影したものとのことだが、タイトルがよくわからなかった。キャプションを読むと能の「蝉丸」からきているらしい。

・新山発現写真展「bloomy」、サードディストリクトギャラリー
画面をみっしりとしたいというような、たぶん6×7によるモノクロ作品。DMの枝垂桜が写っている写真は割合静かな印象だが、展示ではもっとドロッとしたものが感じられた。

・上田和寛写真展「Tokyo Sketch」、epSITE
作者は、東京は開発のためつぎはぎだらけでヨーロッパのような統一感がないと嘆いているが、その東京をスナップした作品はおしゃれでヨーロッパの雰囲気たっぷりだ。ほとんど開放での使用だろうか、ピントの合っている箇所が狭く、遠景のボケが大きかった。使用レンズを尋ねてみたところノクチルックス、ズミルックス、ズミクロンというある意味決まった返事だった。













[PR]
# by pprivateeye | 2017-07-23 20:00 | Comments(0)

気が付けばビッグネームばかり4人。

f0067724_01412450.jpg

2017年6月30日(金)

・田原桂一展「Les Sens」、ポーラ ミュージアム アネックス
田原さんの作品がまとまって見られると思っていたので少々肩すかしだった。光りに強い関心を持っているということは以前から耳にしていたが、アクリル(?)の柱に電気を通して光らせた作品もほとんど興味を覚えなかった。

・荒木経惟×ギメ東洋美術館「東京墓情」、CHANEL NEXUS HALL
荒木さんの作品は額装なしでまとめて展示されていることが多い。先日のタカ・イシイギャラリーP/Fでもそうだった。しかしここでは個々の写真が丁寧にフレームに入れられている。それらを見ると一点一点に力があり、かつ悲しみを感じさせるものとなっている。カラーよりもモノクロの作品がよかった。リシャール・コラス シャネル(株)社長の挨拶文はしっかりと本質を捉えていると思った。「ARAKI 絶望のおかしみ 遺言とも似た「東京墓情」と題する荒木の作品には哀傷が刻まれているが、写真に潜む力が悲観に暮れそうになる気持ちを凌駕する。ユーモアが世の中とその惨禍をも救うことを決して忘れない道化師のごとく、荒木は絶望に皮肉を盛り込む術を知っている。絶望を絶対視することなく、おかしみと軽妙に豹変させてみせる。これこそが荒木だ。」

・森山大道展「Pretty Woman」、AKIO NAGASAWA Gallery
壁一面に新作のプリントがきれいに貼られていた。同じイメージが何度も出てきて、なんだかなぁと思った。繰り返すことによる効果を考えたものではなかった。同じ写真だが写真集で見ると全然違って見えて、いい。森山さん自身が鏡に映っている写真を一瞬、遺影かと空見してしまう(汗)

・ハービー・山口写真展「That's PUNK」、BOOK MARC
ロンドン時代の作品。音楽的にはパンク・ムーブメントを同時代に経験していないので、有名なアーティストを見ても特別な感慨はない。いろんなところで発表された作品が多かった。





  



[PR]
# by pprivateeye | 2017-07-19 09:47 | Comments(0)

曇りの日のヒマワリ

f0067724_01394815.jpg

2017年6月28日(水)

・飯田鉄写真展「街の記憶術」、Roonee247 fine arts Room1
90年代築地が変わっていくのを記録に留めたいとの思いから撮影。コントラストの高めの街並みが90年よりももっと昔の風景に見えてくる。いつか本の中で見た風景が重なるようだ。

・「西口スピンオフ展 2017~小さなフォーマットの巻」、Roonee247 fine arts Room2
ハーフサイズや120フィルムにこだわった写真。フォーマットが小さいからといって見せ方も小さくするよりも大伸ばしにしたほうが面白いと思った。オリンパスペンで撮られた市川駅前の作品がよかった。

・降旗良房写真展「surface ⇔ undercurrent」、Art Gallery M84
水が描き出す抽象、スローシャッターによる街、etc. 写真は現実と虚構を行き来できるものだと思う。ただ、カラーで抽象となるとどうしても色に引きずられてしまうので、そこに形が欲しくなってしまう。その意味では階段の奥に白い少女が立っているモノクロの作品は現実を撮りながらも虚構の世界への扉が開いているようだった。

・永嶋勝美写真展「chute de neige」、gallery E・M 西麻布
35mmフィルムの一コマだけをプリントするのではなく、左右のコマも少し入れてプリントされている。作者が言うようにそれぞれのコマの間に時間の開くものもあれば連続するものもある。上手な写真ということもあっておしゃれな印象だった。

・Workshop 2B写真展「Return」、Gallery Le Deco
 3F 53、54期
 4F 美術史ゼミ
ワークショップの修了展。3Fは初のグループ展の人が多いようだが全体にレベルが高った。気にいったのは物置の題材に自由にペイントしたものを撮影した作品だ。ミロやクレーの絵画を連想させた。聞けば美術の先生とのことで、もともとの素養が違うわけだ。4Fは体系的に学んだ美術史を踏まえての作品。バナナが秀逸だった。現代アートの世界からすればそれほど特殊ではないのかもしれないが、思っていたほどバナナが萎びていかなかったという作者の言葉や状況の説明も含めての作品だと捉えると楽しい。パーティでは懐かしい顔がいっぱいでよかった。









 


[PR]
# by pprivateeye | 2017-07-17 20:46 | Comments(0)

東京大学で公開講座

f0067724_01375339.jpg

2017年6月24日(土)

東京大学文学部公開講座 第8回「ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフ ーロシア文学の鬱蒼たる森を探索するー」に出席した。会場は東京大学文学部1蛮大教室。講師は東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授、沼野充義氏。このひとの名前はSFファンならよく知っていると思う。スタニスワフ・レムの作品をほとんど訳している。
大作家三人を1時間半に満たない時間で語るのだからどこか一点共通なところに焦点を当てるしかない。ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』を取り上げていた。神の存在、にもかかわらずなぜ児童は虐待されるか。その子供というテーマをチェーホフは確実に受け継いでいる。チェーホフ自身不幸な幼年時代を送っている。彼の短編「かわいい」をトルストイは激賞したが、まったく正反対の評価も受けている。そのトルストイの『アンナ・カレーニナ』はプーシキン『エヴゲニー・オネーギン』のヒロインの進化したもので、さらにチェーホフ「小犬を連れた奥さん」は『アンナ・カレーニナ』の続編かもしれず、終わりで何かが始まろうとしている。そして、ナボコフ「フィアルタの春」は、それらを引き継ぎながらも唐突に閉じられるヒロインの運命を描いている。
個々の作品や作家は単独で突然現れるのではなく、先行する作家や作品を確実に肥やしにしている、というこういった話を聴くのは楽しいし豊かな気持ちになる。さらにそれらの作品を読んでみたくなる。






  




[PR]
# by pprivateeye | 2017-07-11 02:47 | Comments(0)

作者のコメントに惹かれる。

f0067724_01352939.jpg

2017年6月23日(金)

・渡邉博史写真展「顔、顔、顔、」、ギャラリー冬青
タイトルどおり能面や人形、実際の人間の顔が特に区分もなく展示されていた。そのせいだろうか、精神病院の患者のポートレート『私は毎日、天使を見ている』あるいはメイド人形を撮った『ラブ・ポイント』よりも緊張感が低く印象が散漫な感じがした。渡邉さんのキャプションの最後は写真を撮る人へのメッセージのようだ。「絵画は一点で作品として完結されているものが殆どだと思う。それに比べて、写真家の場合は、同じテーマで何枚ものイメージを作り、その複数のイメージをシリーズという一つのまとまった集合作品として完結し、それを写真展や写真集として発表することが多い。そこでは一枚一枚の写真の重みもさることながら、集合体としての全体の重さも大事だ。だから写真家は、昆虫採集に夢中な子供のように、常にしつこいコレクターであり続けるべきだと最近思う。」

・CORRESPONDENCE/LANDSCAPE 017「Self-Scape Part1 風景画ー風景写真」西山功一、山神悦子、工房親
西山さんは同時期にMUSEE Fでも展示しており、こちらはいわるゆる普通の写真作品。影に関心があるように見えるが光りを直接捉えたいのかなと思った。
山神さんは抽象的な絵画作品。鉱物がテーマのようでそれぞれに石の名前がついていた。ブックを見て、ここでも作者のコメントに惹かれた。「私の絵は小さなモチーフ、つまり1つの筆触から始まる。その時に頭にあるのは最終的に使いたいと思う漠然とした色彩だけである。1つの筆触が次々と変化しつつ移動を繰り返して大きく迂回しながら最終的な色彩に近づくのだが、時には近似値のような絵になって終わることもある。というより今まで私が描いた絵はみな多かれ少なかれ近似値のように見える。」この言葉からも絵画は写真と異なった身体性を持っているということがわかる。そしていつも近似値ということは決して完成あるいは満足しているわけではないことが伺える。

・谷雄治写真展「SAGAMI 3号」、市兵衛町画廊
展示の最終日で作者の誕生日ということ、会場がバーの一部ということもあって、じっくりと作品を見ることができなかった。作品は小さなサイズでまとめられていたが、これまでの作者の写真では大きなサイズものがよかったのでどうなんだろうと思った。来場者が多いので早々に退散することにした。







  




[PR]
# by pprivateeye | 2017-07-11 02:16 | Comments(0)

帰省してました。


2017年6月16日(金)
f0067724_03292236.jpg

f0067724_03293519.jpg


2017年6月17日(土)
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集でミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』を読む。
ル・マン24時間レース、スタートから1時間ほど見る。


2017年6月18日(日)
父親に言われて網戸を出す。
ル・マン24時間レース、総合優勝はポルシェ2号車。トップカテゴリーよりも下のクラスのほうが力が接近していて面白かった。GTE Proクラスではアストンマーチンとコルベットが24時間走って最終周までテール・トゥ・ノーズの戦いだった。それに比べてトップカテゴリーはエントリーがたったの5台で、夜が明けたら3台がリタイアしていた。


2017年6月19日(月)
ずっとCATVでAXNミステリーを観る。ミス・マープル、フロスト警部、ダウントンアビー、マッテオ神父。


2017年6月20日(火)
f0067724_03312205.jpg


f0067724_03314031.jpg


f0067724_03315744.jpg


f0067724_03321101.jpg


f0067724_03322195.jpg


f0067724_03323464.jpg

ありゃ、2枚目から下は全部iPhoneでお手軽撮影だ。





  











[PR]
# by pprivateeye | 2017-06-21 03:52 | Comments(0)

表参道はいつも人がいっぱい。

f0067724_00115545.jpg

2017年6月14日(水)

・西山功一展「光があなたの影を映しだすように」、MUSEE F
写真ではなくスライドの展示。そこに映し出されるのはそのギャラリーの壁を写したもの。白い壁に白い写真が映写されるので壁や床のつなぎ目、隅のライトや電源くらいしか見えない。ときどき写真が展示されているときの壁が映るがその写真そのものははっきりと分からない。作者は「空白やニュートラルという理想の中で、その場に留まり続けたいといつも願う。」と書いている。同じ複数の現実が入れ子状態になった作品。

・「エフェメラル フォトグラフィー/写真の観照性」展、多和田有希・大竹淳人、表参道画廊
多和田有希さんの作品はプリントした写真を刃物などで削ったりしたもの。いろいろな写真でそれぞれ違ったキズのつけ方をしているが、床に置かれた大きな作品が一番気になった。東日本大震災後、恐ろしく感じるようになったという海の写真だが、そこには電気ペンで無数の小さな穴が開けられている。しわくちゃにされたことと相まってかなりグロテスクな印象を与えている。
大竹淳人さんの作品は一言で言えば暗箱(ピンホールボックス)の中を撮影したもの。リンゴや大きな木の葉に暗箱の外の景色が映し出されている。作品をさっと見ると黒バックに模様のついたオブジェがあるだけなのだが、よく考えるとどうやって撮影したのだろうかと思う。言ってみればレンズを通して入った光りがカメラの中で映像を結んでいる状態を撮影していることと同じなのだ。これはテントを暗箱にしてピンホールカメラとし、そこにカメラをセットして撮影したとのこと。外界と写されたものの関係性という意味で上記の西山さんの作品に通ずるものがあるように思えた。

・姜美善(Gang Misun)写真展「night knot」、TOTEM POLE PHOTO GALLERY
タイトルのknotは結び目ではなく船の速さを表わすノット。カラーで夜の風景。作者のスピードで夜の闇の中をさまよう、という感覚らしい。撮影された夜は実際よりも暗くなっている。

・宛超凡(Wan Chaofan)写真展「沿線―西武新宿線・拝島線」、Place M
タイトルには具体的な名前が付いているが都市近郊ならどこであっても変わりはない風景だ。モノクロの作品でかなり粒子が目につくが、全体としてのコントラストは低めだ。そのため現代ではなく、昔もしくは夢の中のようにも思える。

・三吉和寿写真展「Take me somewhere nice」、RED Photo gallery
大きくプリントされた茶色い風景はどこか旧共産圏国のようでもあり、タルコフスキーの映画に出てくる場面でもあるように思えた。風が強いのかポリ袋のようなものが舞っていたりする木立か川辺のようなところの写真が不思議な感じで気になった。他には、都市部の上空をやはりゴミが舞い、鳥が飛んでいるのを屋上にいる人たちが見上げている写真も印象的だった。






  




[PR]
# by pprivateeye | 2017-06-16 01:50 | Comments(0)

六本木

f0067724_22015170.jpg

2017年6月10日(土)

・荒木経惟展「写狂老人A 17.5.25で77齢 後期高齢写」、タカ・イシイギャラリーP/F
カラーとモノクロ、両方の作品。相変わらず点数は多い。カラー116点、モノクロ720点。数は多いのだが写真の内容は意外と少ない。花、おもちゃの人形など小道具、女性のヌード、車の中からの街などがメイン。セレクトもしているのだろうが、撮るのもそういったものが多いのだと想像する。ライカM7には荒木さんの名前が刻印されていた。印象に残ったのは昨年亡くなったツァイスの石原悦郎さんの写真が2点あったこと。ひとつは石原さんについて書かれた本といっしょに壁に立てかけられており、もうひとつは荒木さんが石原さんと桑原甲子雄さんを撮った写真でツァイトでの展示のもの。

・加納典明写真展「絶夜」、ZEN FOTO GALLERY
20年前に撮影したモデルの写真と、今回同じモデルを新たに撮影した作品。加納さんには強烈な個性を持ったガンガン行く写真家というイメージを持っていたが、20年前の作品には優しさが漂っていた。新しい作品ではモデル自身が力強くなっており、加納さんはモデルに触発される写真家なのかなと見ながら思っていた。

・ルイジ・ギッリ展「Works from the 1970s」、タカ・イシイギャラリー東京
小ぶりのカラー作品。同じように街中を撮っているのだが、前日に見たソール・ライターよりも写真家の作品だという印象を受けた。看板とかポスターなど複製物を撮影し再度複製することは厚みのない現実、というものを作り上げている。同じ眼差しであってもそこに作家としての主張があるようだ。以前に読んだルイジ・ギッリの著作『写真講義』をまた読み直したくなった。


最近はBookoffで本を買うことがほとんどだった。読みたい本、買いたい本がいっぱいあるので新刊だときりがないので、それに多少なりとも歯止めをかける意味もあった。しかし、今日は青山ブックセンター六本木店でケン・リュウ『母の記憶に』(新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)、ヴォネガット『国のない男』(中公文庫)、ユリイカ臨時増刊号「総特集 大岡信の世界」を買った。ケン・リュウは『紙の動物園』に続いて2冊目。この人の作品はSFだが、じっくりと丁寧に読みたいと思っている。このヴォネガットはBookoffにはなかなか並びそうにない。というわけで本の山は高くなるばかり。

 



おまけ
[PR]
# by pprivateeye | 2017-06-14 23:44 | Comments(0)

「ソール・ライター展」、他

f0067724_22002738.jpg

2017年6月9日(金)

・「ニューヨークが生んだ伝説 ソール・ライター展」、Bunkamuraザ・ミュージアム
周りの評判はいいようだが、自分としてはウ~ンという感じだった。昨年1月に公開された映画ではなかなか頑固そうでカメラ好きの親父だなという印象だったが、今回の展示を見た限りではもっと繊細なものを感じた。作品一覧表の余白には、静か、寂しい、淡泊、という言葉をメモしていた。写真は強く何かを訴えかけるというものではなく、デザイン的に切り取られたように見える。絵画も展示されていたが写真とよく似ていた。少し生気を感じたのはヌード作品だが、それでも他の作家に比べるとおとなしかった。一番気に入ったのは「歩道」と題された作品で、帽子を被った男性が道に立っているのだが逆光でほとんど細かなところは見えない。これには力強さを感じた。図録にも見開き断ち落としで掲載されている。

・由良環写真展「重力の辺」、表参道画廊
羽田沖の海辺を4×5で撮影。モノクロ作品。よく見るとピントが合っているのはほとんど中央付近だけだった。そのせいだろうか、作者が言うところの都市の気の吹き溜まりという言葉にあまり違和感は感じなかった。ただ、構図的に見たとき海と陸の境の線が目につき、変に気になった。

・洸野新写真展「呼吸」、MUSEE F
こちらはカラーで埋立地の木々を撮影。本来生えていないはずの場所に植えられた木にシンパシーを感じているといったニュアンスのキャプションだった。

表参道画廊では写真家の飯田鉄さんといっしょになり、また写真展の案内を戴く。先にギャラリーを出て写真を撮っているところを見られる。一目で21mmですかと見抜かれ、今度これを買っちゃいましたよとライカM10をバックから取り出された。軍艦部にパーマセルが貼ってあるので尋ねると、ストロボを付けたとき傷がつくのがまだイヤですから、との返事。カメラの話をするときはニコニコだった。



  




[PR]
# by pprivateeye | 2017-06-14 03:01 | Comments(0)

早稲田松竹でGodard

f0067724_00280538.jpg
f0067724_00281647.jpg

2017年6月6日(火)

早稲田松竹でジャン=リュック・ゴダール監督の「はなればなれに」(1964)と「女は女である」(1961)を観る。前者は二回目かな。どちらも二人の男性が一人の女性を巡る話で、主演女優はともにアンナ・カリーナ。二作品ともどこか喜劇的な要素が含まれている。
「はなればなれに」ではアンナ・カリーナが自転車に乗っているところを俯瞰で捉えたシーンがいい。彼女は曲がり角に来る度に手を出して曲がる方向を合図している。一番面白いのはカフェでのシーンだな。席についているときに誰かが用事で立つと並びを変えたり、突然ダンスを始めたりする。上のポスターがそのシーン。
「女は女である」のジャン=ポール・ベルモンドが意外とヤサ男だった。アンナ・カリーナはジャン=クロード・ブリアリといっしょに住んでいるのだが、ケンカをして口をきかずに本の題名を示すことで言いたいことを言ったり、ベッドに入る度に足裏の埃を払うシーンなどは何度か現われて面白かった。バーのカウンターで後ろ姿の女性が振り向くとそれがジャンヌ・モローで、ベルモンドが「ジュールとジムはどうしたんだ?」と言う場面では思わずニコッとしてしまった。「ジュールとジム」はフランソワ・トリュフォー監督の「突然炎のごとく」の原題で、やはり男性二人と女性一人の話。ジャンヌ・モローがその女性だ。こういった楽屋落ち的な話が他にもいくつかあって愉快愉快。
ちなみにトリュフォーの作品では「突然炎のごとく」が一番好きで、ジャンヌ・モローがお気に入り。以前にも書いたりしているが、彼女にスタンダールの小説「パルムの僧院」に出てくるサンゼヴェリナ公爵夫人を演じてもらいたかった。何度も読んだ「パルムの僧院」では、青二才の主人公ファブリス・デル・ドンゴなんかよりもサンセヴェリナ公爵夫人のほうが断然いい。





  



[PR]
# by pprivateeye | 2017-06-12 21:01 | 映画 | Comments(0)
line

写真について、極私的な、 あれやこれや


by pprivateeye
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31