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気持ちのいい陽射しの中、ゆっくりと歩く。

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2017年4月28日(金)

・山吉由利子、大塚日出樹、豊浦正明 展「浮遊する永遠」、アートスペースK1
作品は山吉さんが人形、大塚さんと豊浦さんが写真。人形作品では四谷シモンの名前を知っているだけでまったくといっていいほど知識はないし、当然ながら興味も薄い。豊浦さんはボンデージのヌード作品を見たことがあるが、今回は人形を撮影したものだった。インスタレーションっぽい見せ方はあまり好きではない。大塚さんはフランスの森やバラ、海岸の岩場などの作品。好みは大塚さんだな。彩度を抑えたカラー作品に品の良さを感じた。

・潮田登久子 展「BIBLIOTHECA/本の景色」、P.G.I.
本日が最終日。本についての写真は1995年から撮り続けているようだ。オブジェとして本を撮影しているとキャプションにあったが、本そのものも人の顔のように歴史がある。その時間の経過は人よりも遥かに長い。それだけに虫に食われて穴だらけになった本、というよりも紙の一部はなにか強烈な悲しみが湧いてくる。かと思えば付箋がびっしりと貼られた辞書は、もう付箋の役目を通り過ぎてしまってユーモアすら感じられる。

・The 9th Gelatin Silver Session “Portrait”、AXIS GALLERY
前回の展示では面白くない経験をしたが、今回は普通になっていてよかった。作家名やキャプションが印刷されたチラシはそのまま貰えた(当然だ)。前回は企画自体もお遊び感が強くていただけなかった。今年のテーマはポートレートだが、作家それぞれにひねりが感じられていいのではないか。いいなと思ったのは西野壮平さんだ。視線が入れ替わるところなど現実と虚構の交錯のようだ。彼はコンタクトプリントを切り出して作品制作を行っているのでここでの作品もコンタクトプリントからの切り出しだったが、内容を考えると普通のプリントでもいいと思う。他では瀬尾浩司さんのプリントが粒子たっぷりで気持ちいい。思わずニヤッとしてしまったのは杉本博司の40代前半のポートレートがあったこと。撮影は広川泰士さん。展示を見終えて会場を出たところでハービー・山口さんと遭遇。最近出された本のことなどについて少し立ち話をする。





  



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by pprivateeye | 2017-04-29 23:14 | Comments(0)

写真は微分である。

2017年4月27日(木)

写真は微分である。この言葉はどこかからの引用ではなく、あるとき思いついたものだ。

ヒント1:マイブリッジ
エドワード・マイブリッジという名前は写真をやっている人ならどこかで聞いたことがあると思う。彼は、1878年にカメラを等間隔に12台並べて、走る馬の連続撮影を成功させた。それが下の写真だ。この写真がもっと細かくかつ連続して再生されれば、映像になる。動きだけみれば連続しているが、ある一点を取り出せば写真でもある。
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ヒント2:積分
数学の微分積分の積分のことだが、高校の数学の授業で積分の説明の際、下のようなグラフが出てきたのを覚えていると思う。曲線に囲まれた箇所の面積を求めるとき、図のような四角形を仮定してそれをどんどん細かくしていき合計すればその面積を求めることができる。


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マイブリッジの連続する写真と、積分の図の四角形と似ているのではないかと思った。
積分は全体を求めるが、逆に究極のある一点を求めることは微分となる。映像のなかからある一点を取り出せばそれが写真なのだから、「写真は微分である」という次第。





  



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by pprivateeye | 2017-04-27 00:56 | Comments(0)

小伝馬町~新宿~中野

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2017年4月18日(火)

・山下恒夫写真展「15歳の日々」、Roonee 247 fine arts Room1
中学生の頃からカメラを下げて登校していたらしい。そして写真の投稿コーナーでは中学生にしては出来過ぎなんて評ももらっている。上手なだけだと鼻に付くこともあるが、それがないのは山下さんが本当に写真が好きなんだと思う。今回の写真は当時の同級生を撮っているのだが、同時に今の山下さんが中学生を撮影しているようにも感じられた。個々の写真のサムネイルに書かれたコメントもよかった。

・宝槻稔写真展「里山」、Roonee 247 fine arts Room2
テーマとしての里山。プラチナ・プリントの作品。乳剤をできるだけイメージの大きさに合わせて塗っているのがいい。ところで、プラチナ・プリントは諧調が豊かでそれでいて柔らかい描写が評価されるが、自分としては大好きというわけではなかった。今回の作品を見て気付いたのだが、陽があたって明るい場面でもなんとなく暗く見えてしまうことに抵抗があったようだ。

・土佐和史写真展「SUNLIGHT MEMORIES」、Roonee 247 fine arts Recommend wall
街中で声をかけて撮影したスナップ。カラー作品。

・宛超凡(Wan Chaofan)写真展「満ち来る潮」、TOTEM POLE PHOTO GALLERY
川の側だろうか、水がある、あるいはその気配のする場所でのモノクロ・スナップ。DMにも使われた写真のように、人物の後ろ姿が意味ありげでいい感じだ。

・Jan Vranovsky写真展「Wrapping the Void」、Place M
東京の街中の建物や構造物をできる限り中性的に撮影。彩度を落とした白っぽいプリントがいい。当然のように人物の気配は皆無で、影もほとんどない。ツルッとした風景だ。英語で書かれたキャプションを読むと、プラハ出身で専門は建築のようだ。

・佐藤充写真展「昨日」、RED Photo Gallery
女性を中心としたモノクロ・スナップ。ノーファインダーの写真も多い。テキストが漠然としたタイトルだけなので作者の狙いがよくわからない。

・Michael Nischke写真展「MUNICH-MOMENTS」、ギャラリー冬青
ミュンヘンの歴史的な建造物を中心にパノラマで撮影。モノクロ作品。何だか絵葉書のような風景だなと思いながら見ていた。写真集も同じ感想だったが、LPレコードの付録(?)としての冊子を見たときにはおおっと思ってしまった。レコード・ジャケットを両開きした大きさで、しかも印刷なのでコントラストが展示作品よりも高くなっている。それで目に飛び込んできたのだと思う。展示はたぶん大四つくらいの印画紙だが、これらの作品はもっと大きくして見せたほうがいいのかもしれないと思った。



  

  


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by pprivateeye | 2017-04-21 01:47 | Comments(0)

「そこに残るのは形だけでしょう」

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2017年4月15日(土)

・奈良原一高写真展「華麗なる闇 漆黒の時間」、キヤノンギャラリーS
展示は暗い部屋で作品にだけ照明があたっていた。作品はヴェネッティア、刀、能、禅の4シリーズで、展示数はヴェネティアが全体の6割というところか。最初は暗さに目が慣れないのでイメージしか見えずしかもデジタル出力なので、モノとしての写真は捨てているのねと思いながら見ていた。そんな不遜とも思えることを考えていたのだが、目が慣れてくると細部まで見ることができて楽しむことができた。ヴェネティアでは建物の入り口の上部が丸くなっているところだけを集めたコーナーがあり、これは杉本博司の劇場シリーズのようだと思った。4つのシリーズでは禅は好みかな。チラシのテキストに奈良原さんの言葉があり、「禅という思想は、科学的手続きをふむ写真には写らないと思います。そこに残るのは形だけでしょう」と述べている。割り切っているなあ。ここのギャラリーがいいのは展示作品の小冊子が無料でもらえるところだ。

・桜井秀写真展「ノスタルジックな道 ルート66」、キヤノンオープンギャラリー1
以前、キヤノンの望遠レンズが触れるコーナーがあったが、その横が展示スペースになっていた。すでに廃線となっている米国の国道ルート66を辿った、モノクロの作品。タイトルにノスタルジックなとあるが写真はあえてそういう撮り方はしていないように思えた。極めて現代的なスナップだった。

・原美樹子写真展「Change」 第42回木村伊兵衛写真賞受賞作品展、新宿ニコンサロン
少し黄色い感じのプリントが独特だ。イコンタというクラシックカメラでほとんどノーファインダーで撮られており、選考委員の一人鈴木理策さんが「目の前に現れる世界を不思議そうに見つめ、カメラにお願いして記憶してもらっている」ような印象だと述べている。最終候補に残ったなかでは現代アートから遠く離れていて、一番写真らしい写真が受賞したのはいいことではないかと思う。「アサヒカメラ」が木村伊兵衛賞を別冊付録にしているのはいい。それを読んでいるときに写真仲間と遭遇する。

・伊藤邦美写真展「秩父みち二人」、ニコンサロンbis新宿
定年退職した人が夫婦で秩父札所巡りをしたときの写真。その場所と二人の記念写真がセットになって展示されていた。作者が話しているのを背中で聴いていたのだが、俺が俺がという人のようで写真もその通りだった。


  


  



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by pprivateeye | 2017-04-19 19:33 | Comments(0)

「乱 4K」

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2017年4月14日(金)

YEBISU GARDEN CINEMAで黒澤明監督「乱 4K」(1985年)を観る。タイトルにあるように4Kデジタル修復されたものだ。
この映画の中心は当然
シェイクスピア「リア王」であり、
秀虎役の仲代達矢と狂阿弥役のピーターがそのストーリーの真ん中にいる。他に重要な役は楓の方の原田美枝子かな。
秀虎が息子たちに裏切られ城に火をかけられてから狂気と正気を行ったり来たりするところは仲代達矢だからこそだ。アップでも引きでもその存在感を見せている。
狂阿弥役のピーターは一人色黒でおかしなことばかり言って、あれは何だ余計だというレビューをいくつか目にするが、それこそがこの映画の世界の異常さを表わしている。異常ばかりでは正常が何かわからない。狂阿弥役がおどけながら、あるいは狂言風に言っていることはすべて真実なのだが、それを理解している者は周りにはいないように思えた。
クローズアップの頻度などでその場面や役の重要さが測れるが、長男太郎(寺尾聡)はほとんど印象に残らないし、その印象の薄さが役柄(演技)となっている。次郎(根津甚八)も最初は父親秀虎をどうするかと腹心たちと相談する場面などでクローズアップで捉えられるものの、楓の方(原田)が本性を表わしてからは背後からのショットが多くなった。
楓の方が次郎の正室の末の方(宮崎美子)をどうするのかと迫る場面ではカメラは絶対に次郎の表情を映そうとしない。ちなみに宮崎美子がクローズアップで捉えられることはまったくなかった。三郎(隆大介)は「リア王」では三女コーディリアに相当するが、この映画ではさほど重きが置かれていない。
一方で、楓の方は地味な登場の仕方をするが次第にその本性を露わにしてくる。そこには秀虎に攻め滅ぼされた一族の生き残りという背景がある。これは浅井長政の三姉妹のあり得たかもしれない生き方だと思う。三姉妹の母は織田信長の妹お市であり、姉妹は豊臣秀吉や徳川秀忠に嫁いでいる。浅井長政自身も信長に滅ぼされており、三姉妹の誰かが楓の方のように振る舞ったとしてもおかしくない。このことに触れた評はまだ目にしていない。
このような見方をしてくると、合戦のスケールがすごいとかの感想をよく見るが、それは付け足しのようにしか思えなくなってくる。実際には、多くの馬が走っている中で落馬するという演技はものすごく危険だ。それが何回も何人もがやっているわけだが、物語の展開から考えると合戦が必ずしも必要とは思えなかった。城攻めのシーンでは秀虎が狂うためにだけ必要としか考えられないでもない。このあたりもう少し切り詰めていけば親子の裏切りと愛情という関係が濃くなったのではないか。ただし、超大作というわけにはいかないかもしれないが。



  



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by pprivateeye | 2017-04-19 00:49 | 映画 | Comments(0)

「アメリ」<午前十時の映画祭8>

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2017年4月13日(木)

TOHOシネマズ市川コルトンプラザで「アメリ」を観る。午前十時の映画祭8。実はこの映画を観ようかどうしようか迷っていたのだが、午前十時の映画祭に入っているということで観ることにした。感想、よかった、面白かった、いい映画だった。監督が「エイリアン4」を撮ったジャン=ピエール・ジュネで、2001年に公開されフランスに限らず日本でもブームになった、ということはまったく関係なしに楽しめたし、意外に深みのある内容だった。なによりもテンポがよく、色もヴィヴィッドで、人間関係がメインというフランス映画そのものという印象。ビデオやTVのシーンがいくつも出てきて、わかる人にはわかるという感じだ。トリュフォー「突然炎のごとく」のジャンヌ・モローたちが橋を駆けているシーンに気付いたときは、おッと思った。ツール・ド・フランスで馬が選手たちといっしょに走っているTVのシーンもあれば、隣のアパートメントの老人が模写している絵画はルノワール「舟遊びをする人びとの昼食」だ。先行する作品へのオマージュやパロディが随所にみられた。極めつけは最後のシーンだ。恋が実ってアメリが彼のバイクの後ろに乗って街中を走る場面は「ローマの休日」そのもの。主人公たちの笑顔がそのまま観ているものに移ってしまう。





  



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by pprivateeye | 2017-04-18 19:34 | 映画 | Comments(0)

早稲田松竹でヴィスコンティ

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2017年4月12日(水)

早稲田松竹でヴィスコンティ監督の「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1942年)と「揺れる大地」(1948年)を観る。前者は1月に新宿武蔵野館で観て二度目だ。ともにモノクロで、ネオレアリズモの作品に数えられている。他にはロッセリーニやデ・シーカの名前がよくあがる。
たまたまBookoffで見つけた『ヴィスコンティ 壮麗なる虚無のイマージュ』(若菜薫、鳥影社)の分析が興味深い。主題、物語、映像話法、映像主題といった切り口で各作品を分析している。「郵便配達は二度ベルを鳴らす」については後ろ姿の表現性ということを述べている。映画の冒頭、主人公ジーノがトラックの荷台から降りて食堂に入っていくまで主人公の顔が映ることはない。また、大道芸人スパーニャがジーノを旅に誘いに来たが果たせず去っていくときにもその後ろ姿がしっかりと描かれている。こういった細かな箇所というのはよほど映画慣れしていないと見逃してしまうものだ。それについて書かれたものを読み、再度観るときにはストーリーはわかっているのでより細部に入っていける。映画は二度観よ、ってかw
「揺れる大地」は初めて観る作品だ。一言でいえば、漁師が搾取から逃れようとしたが失敗する、という話になる。ヴィスコンティの大きなテーマとして家族の崩壊があるが、それが苦い気持ちとともに描かれている。主人公の漁師ウントーニは独立に失敗して再び仲買人に雇われる。その際、激しい嘲笑をあびるが一切表情は変えず何もしゃべらない。それは屈辱からではなく、信念を持ち誇りを失っていないからだ。先にあげた書籍では、そこには「山猫」のサリーナ公爵と同じ精神的貴族を読み取っている。



  

   



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by pprivateeye | 2017-04-17 23:59 | 映画 | Comments(0)

写真は後から記録になる。

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2017年3月31日(金)

・大西みつぐ写真展「川の流れる町で」、ふげん社
同題の写真集刊行に合わせた展示。写真集と同様、「放水路」と「眠る町」に分けられている。展示の仕方も異なる。「放水路」の写真はアクリル板に貼り付けたもので、夕陽を受けてか暖色系の光りがあたって情緒的に見えた。一方、「眠る町」のほうはフレームに入っており、陰影の少ない街並みはどこかクールな印象だった。上の写真は大西さん所有の昭和30年代の地図。まだ都電が走っている。その下は大西さんの子供の頃の写真。

・稲垣徳文写真展「HOMMAGE アジェ再訪」、gallery bauhaus
アジェが撮影したパリを同じ場所、同じアングルで撮影。しかし、アジェのコピーではない。スローシャッターで人物の動きを流すのではなく、あくまでも全体にピントのあった現代の写真だ。バライタと自作の鶏卵紙による同じネガからのプリントをセットで展示。一部、異なるネガが使われており、二点を同時に見たときそちらの方が面白い。でも好みからするとバライタかなw あと、撮影場所のクレジットがあったらもっとよかったと思う。

・菅野ぱんだ写真展「Planet Fukushima」、新宿ニコンサロン
正直に言うと、また福島の写真かと思っていた。しかし、これまでに見た原発事故に関連した写真展では一番見応えがあった。展示も工夫されており、額装ながら隣同士のカットが連続するようなプリントだったり、その下部にガイガーカウンターを写し込んだりしている。汚染土を集めた場所の空撮が何点もあり、それが不気味だ。また、手前の人物をぼかして背景にピントを合わせたものも不穏な感じがした。

・「2016年度 Top Eye フォトフォトサロン入賞作品展」、新宿ニコンサロン
中学、高校生のフォトコンテストの写真。写真家小林紀誠晴の挨拶文があった。デザイン的なもの、画面構成や人物の動きを演出したものなど、すごく考えた写真が多く、スナップはほとんどなかった。夕陽が田んぼに写る作品がいいなと思った。





  




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by pprivateeye | 2017-04-02 00:29 | Comments(0)