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ひまわり

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2015年9月23日(水)秋分の日

・佐藤悦子写真展「Room」、みうらじろうギャラリー
箱で室内を作り、椅子やベッドの模型を置いて撮影するというコンセプチュアルな作品。主役は紐状の変化する影だ。それはあたかも作者の情念のようにも思える。室内を覗き見しているという設定なのだが、椅子などがすべて正面を向いているのが気になった。また、見方によってはユーモラスな壁紙もどうだろう、あるいは何もない壁のほうがより非現実的になったかもしれない。

・塚田信之写真展「静かな雑踏Ⅶ」、ギャラリー蒼穹舎
最初の頃から比べると撮り方が自然になってきている。いろいろなアングルから撮るのではなく、普通に街中を歩いているときの視線に近い。いつものようにワークプリントの段階でも見ているが、展示された作品はワークプリントよりもまろやかな印象を受けた。それは心地よいものだ。

・企画展「増山たづ子 ミナオシマイのあとに」、photographers' gallery
IZU PHOTOでの展示は見ることができなかったので、この企画はありがたい。ここには本来の「写真」がある。日常を記録しそれを後々分かち合う。そこには撮った人の人柄まで残されている。

・KAGAYA写真展「星月夜への招待」、コニカミノルタプラザ・ギャラリーA
キラウエア火山の火口の写真には驚いた。レンズが15mmと書かれていたので随分近くまで寄ったのだなと思っていたら、とんでもない。火口は何百メートルもあり、撮影場所も数キロ離れているとのこと。大気圏に突入して燃えるはやぶさ、太陽に落ちていく彗星、月明りに色づく雲と船などがよかった。

・「ハッブル宇宙望遠鏡25周年 時空を超える銀河の旅」、コニカミノルタプラザ・ギャラリーB・C
SFファンならぜひ見ておきたい。夜空に見えるのは星(恒星、太陽)というよりは銀河系(=星団)だ。宇宙の大きさは理論的には930億光年とのこと。こんなに広いところに知的生命が地球だけということはないはずだ。きっとソラリスもあればスターウォーズの世界もあるだろう。
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by pprivateeye | 2015-09-29 04:07 | Comments(0)

連日のギャラリートーク参加

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2015年9月20日(日)

・田中長徳写真展「8×10 NEW YORK 1983」、ISLAND GALLERY
昨日に続いて2度目。というのは昨日、アルフィーの坂崎幸之助さんが今日ギャラリーに来るという話があったからだ。ギャラリーのWebサイトでも夜その告知をしただけだが、トーク開始の午後2時前には満員で立ち見だった。チョートクさんのときは女性が比較的多いのだが、今回は特に多かった。
坂崎さんが2002年に出した「ニューヨークスナップ」という写真集を持っており、トークでは当然のようにそのときの話が出てきた。チョートクさんがディアドルフの説明をすると、その度にわーとかへーとか関心する声が聴かれ、いつもの写真好きの集まりとは違う反応が面白かった。偽ライカ同盟が再来年で20周年ということで、記念にコンサートをしましょうねwという話になっていた。ちなみに坂崎さんはカメラだけではなく「横浜写真」の収集家でもあるらしい。
トーク終了後、写真集にサインをもらう。少し残念だったのは坂崎さんに直接お願いしたのではなくギャラリーの人を通してだったことだ。


この後、外苑キャンパスで行われているTOKYO ART BOOK FAIRを覗く。
いつものように人が多くて疲れた。どこかに行った最後にここに来ることが多いので、体力的に個々の出品を詳しく見ることはほとんどないのが現状。一応、会場全部は見て回るが知人や面識のある写真家に挨拶するのが精一杯だな。何度か訪れているがまだここで買い物をしたことがない。しっかりと見れないというのもあるが、文化祭的な雰囲気の中で買い物をすると、後になってなんでこんなの買ったんだろうと思うことがよくあるので、その辺り自重しているということもある。今回も知り合いと少し立ち話をして早々に引きあげた。
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by pprivateeye | 2015-09-29 03:27 | Comments(0)

映画への愛、写真への愛

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2015年9月19日(土)

・ジュゼッペ・トルナトーレ&ミンモ・ピンタクーダ写真展「ニュー・シネマ・パラダイスの原風景」、イタリア文化会館
ジュゼッペ・トルナトーレは映画「ニュー・シネマ・パラダイス」の監督、ミンモ・ピンタクーダは映写技師、写真家で、映画の中の映写技師アルフレードのモデルと言われている。
写真は1950~70年代のイタリア・シチリア島で撮影されたもので、まさに映画「ニュー・シネマ・パラダイス」の世界だ。住民の日常生活が普通に撮られているいるのだが、乾いた空気を強く感じる。視覚的に言えばコントラストの高い印象で、日本の風景や日常とは明らかに異なる。ましてや東南アジアのじめっとした空気感とは対照的だ。この異国の乾いた感じに憧れるところがある。

この写真展の関連企画として映画「ニュー・シネマ・パラダイス」が上映された。事前申し込みで入場無料ということで、地下のホールは盛況だった。女性が多かったように思う。ホールの座席は革張りの簡素なデザインで少し固めだったが座り心地はよかった。変にふわふわしたものよりもいい。
映画は二度目だが、やっぱりいい。主人公のアルフレードとトトは当然ながら、村の住人たちも、そして何より監督の映画への愛が感じられる。最後の、キスシーンをつなぎ合わせたカットを見るときの大人になったトトの表情や仕草は、自分でもそうしてしまうだろうなというくらい当たり前で自然だった。つまりそのまま感情移入してしまう。それはアルフレードの映画への思いの再確認でもあったと言える。


・田中長徳写真展「8×10 NEW YORK 1983」、ISLAND GALLERY
チョートクさんが32年前に文化庁の公費派遣芸術家としてニューヨークにも滞在したときに8×10で撮影された作品。ただし今回は印画紙ではなく、デジタル出力によるもの。それもネガをスキャンしたのではなくSIGMA dp3で複写したものとのこと。写真の印象はかなりコントラストが高く、bauhausでの展示のようなどろっとした印象はない。好みからすると行きすぎかなと思う。
ギャラリートークがあり、チョートクさんの正面で話を聴く。
このNYの写真は本来450枚くらいのネガがあったそうだが、預けていたところが3・11の災害の際に耐火金庫ごと行方不明になったらしい。たまたま封筒に30枚ネガが入っているのを見つけて、それが今回の展示になったとのこと。
ギャラリーにはそのときのディアドルフも置いてあり、チョートクさんのディアドルフは1933年か35年かの制作でいまだ古くなっていないとか、これを担いで歩いていてセントラルパークの公園の池でNYの写真家協会の副会長と知り合いになったとか、蛇腹を三段に伸ばして工事中のレインボーブリッジを1200mmで撮影したとか、その他その存在にについて一講釈。

ディアドルフの解説ちう
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by pprivateeye | 2015-09-29 02:19 | Comments(0)

鈴木理策写真展「意識の流れ」

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2015年9月18日(金)

・鈴木理策写真展「意識の流れ」、東京オペラシティ・アートギャラリー
「海と山のあいだ」「水鏡」「White」「SAKURA」他、映像「火の記憶」「The Other Side of the Mirror」といったシリーズ。

テキストが興味深かった。
◯見るという行為に身をゆだねると、とりとめのない記憶やさまざまな意識が浮かんできて、やがてひとつのうねりのような感情をもたらすことがある。
◯カメラとは身体の外に知覚を成立させる驚くべき装置。
◯風景とそれを映す水面、両者は写真の中では同じものとしてある。
◯白い印画紙、白い雪のイメージ。その境界線は私達の側にある。
◯来年咲く桜を思い描く時、過去に出会った桜の記憶によるものなのに、私にはそれが未だ見ぬものに思われる。
◯人は写されたイメージに意味を見出そうとする。だが意味が生まれる以前の状態で見ることを示したい。

これは各シリーズごとに掲示されていたもの。
雪を撮った「White」は以前にも見たことがあるが、今回展示されていた作品は実験的というか挑戦的というか、えっと思うものだった。上の写真がそうだが12点の連作のうち何らかのイメージがあるものは4点だけで、残り8点はただ白いだけだ。ここでは雪の質感というものが排除されているので、その白い画面が雪そのものなのか、吹雪いて何も見えないのか、あるいはもしかして未露光の印画紙なのか、まったく判断ができない。そもそも写真の並びに順序があるのだろうか。
で、上に引用した言葉となる。“その境界線は私達の側にある” つまりそれを決めるのは見る人なのだと。

この作家のピントの合わせ方は独特だ。風景を撮影してもピントの合っている箇所は画面のほんの一部だけだ。8×10という大判で撮影しているにも関わらず狭いピントエリアは作者の意図を強く感じさせる。
以前に見た青森県立美術館を撮影した作品では、壁の端のほんの一部分にだけピントが合っていて、見る側の視線を強引に持っていこうとするような暴力的な印象すら受けた。
その後の作品ではそのような強引さはあまり感じないが、へー、ここにピントを合わせるんだ、といった少し常識的な思い込みを外すようなところがある。それはこういった大きな作品になって初めて感じることで、図録程度ではきれいな写真で済まされてしまいそうだ。
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by pprivateeye | 2015-09-29 01:23 | Comments(0)

源氏物語

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                                (岩波文庫の第一巻はただいま行方不明)


20015年9月17日(木)

ついに「源氏物語」を読み終えた。足かけ7年。夜、寝る前に寝転んで数ページずつ読んでいった。他にも読んでいる本があるので毎日という訳にはいかないし、連日だと古語に拒否反応を起こしそうなので、その辺りはゆっくりとしていた。

始まりは確か2008年だったと思うが、「源氏物語」誕生1000年ということで一部界隈でブームになっていた。いろんな解説本や図解、マンガなど関連書籍が出版されていた。そんな中で作家の橋本治が源氏を話題にするんなら原典を読めばいいじゃないか、とどこかの対談で話していたのを読んだのがきっかけだ。

それまでには「平家物語」を読んで古典の面白さに惹かれていた。こんな面白い世界を無視するなんてもったいないと思うようになっていた。次に「謡曲集」に手を出したが、本が大きいため寝る前に布団の中で読むにはちょっと無理があった。「方丈記」は短いので読み終えたが、「徒然草」は面白くなく途中で放棄。「枕草子」は難しくてギブアップ。「更級日記」は公家の娘が「源氏物語」の世界に夢中になっているオタクの話で面白かった。

で、先に書いた橋本治がきっかけでついに「源氏物語」となった。

文庫では岩波と角川から出ており、角川文庫版には現代語訳も付いている。しかし、岩波文庫版は句読点が多く、主語などが補注ですぐ横に書かれていたので読みやすそうだった。この主語が誰だか分かるのは重要だ。源氏物語の難しさは主語が省かれていることで、誰のことが書かれているのかその判断は敬語の使い方で推測する、といったことがよく解説には書かれている。

もちろん古文の力はほとんどないので現代小説を読むようにはいかない。推測するしかないのだが、岩波の補注や句読点の区切りは大いにその助けになった。

源氏物語は桐壷から始まって夢の浮橋まで54章、五十四帖ある。一つの帖を読み終える毎に、「ビギナーズ・クラシックス 源氏物語」(角川文庫)と、「谷崎潤一郎訳 源氏物語」(中公文庫)を読んで内容を確認していった。

ここまで書いて思い出したことがあった。これ以前に源氏を読んでいた。橋本治「窯変 源氏物語」と、「与謝野晶子訳 源氏物語」だ。橋本治の作品はストーリーだけ借りた作者のオリジナルだ。そこで登場人物の印象などが記憶に残ったことも話の内容を理解するのにつながったと思う。

登場人物のことになるとさらに長くなってしまうのでやめるが、一人だけあげるとすれば浮舟が印象的だ。読み終えたばかりということもあるだろうが、その心理描写などは現代の小説と比べても引けを取らない。また、浮舟自身の行動もかなり現代的と言ってよさそうだ。








 
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by pprivateeye | 2015-09-17 16:31 | Self Portrait | Comments(0)

六本木から西麻布へは谷を越えていく。

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2015年9月15日(火)

・「マーガレット・バーク=ホワイト作品展」、FUJIFILM SQUARE
作者の名前は知らなくてもLIFE紙に発表された写真はいろいろな図録に収録されているので見たことがある人は多いはずだ。有名なとことろでは本を読みながら糸を紡ぐガンジー、南アフリカ・ヨハネスブルグの金鉱山の労働者などがある。作者はグラフジャーナリズムの先端を行くところで仕事をしていたが、その写真は押し付けがましさや物事を暴くといった要素は少なく、それでいて重要な点は抑えられていることだ。アメリカ・ルイスヴィル洪水の被災者たちはみごとな風刺にもなっている。


・丹野章写真展「昭和曲馬団」、ZEN FOTO GALLERY
1956~57年に集中的に撮られた国内サーカスの写真。このころはまだショー化が進んでおらず、観客席も特に区切られていないようだ。戦後から立ち直り始めたもののまだまだ貧しい日本で数少ない大がかりな娯楽、といったそんな雰囲気があふれている。


・矢島公雄写真展「絶対水平」、gallery E・M 西麻布
液体の入ったビンを傾けて撮影、展示ではビンがきちんと立っている。一瞬、アレッと思ってしまう。立方体を平面に移し替えたときのギャップが面白いと作者は書いている。その撮影状況を考えながら見ていると、ビンよりも口の広いグラスのほうがもしかしたらこぼれてしまうのではと思ったりして楽しめる。
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by pprivateeye | 2015-09-16 21:03 | Comments(0)

ピントが大事

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2015年9月12日(土)

・有元伸也写真展「Tokyo Debugger」、銀座ニコンサロン
これまでTOTEM POLEで発表してきたもので、作者がジョークで夏休みの宿題と言っていた虫や小動物の写真。クローズアップで撮られ大伸ばしされているので、実際のサイズよりも大きくなっている。しかしコントラストの高い写真はそれが実際にこの大きさかのように思わせてしまう。ロール紙にプリントされたミヤマクワガタには細かな毛がいっぱい生えていた。

・山田諭写真展「FLAMME de DIEU」、FOTO PREMIO、コニカミノルタプラザ・ギャラリーA
コンゴのカタンガ州でのスナップ。この地域ではウランが採掘され、広島に投下された原子爆弾にも使用されたとのこと。広島出身の作者の琴線に触れたようだ。他にも米国や韓国など核に関わる土地を撮影しているらしい。広場のようなところを黒い正装をした男女二人が横切ろうとしているシーンを遠目に撮影したものがよかった。


・島田悠吾写真展「Helsinki」、FOTO PREMIO、コニカミノルタプラザ・ギャラリーB
少し前に新宿ニコンサロンで東京を撮った作品を展示していた。作者はレタッチャーの仕事をしており、すごく作り込んだ写真となっている。東京はカラーだったが、このヘルシンキはモノクロの作品。雪が積もり地面が凍っているのだが、あまり気候の厳しさは感じなかった。二人の女性が凍った川を横切ろうとしている写真はよかった。


・山下恒夫写真展「続 島想い」、コニカミノルタプラザ・ギャラリーC
沖縄・八重山諸島の鳩間島と、西表島の船浮集落での撮影。作者は何度も足を運んでおり、現地に溶け込んでいる様子が自然な写真からわかる。いいなと思ったのは祝花がありその立札に“鳩間島・公民館”とあったことだ。地元の人との交流が伺えて気持ちがいい。あるべき箇所にきちんとピントがあることでその写真が力強く、目を引くものになることがよくわかる。その意味で、年配の男性と女性が腰を下ろして休憩している写真は何度も見てしまった。
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by pprivateeye | 2015-09-16 20:35 | Comments(0)

目黒川

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2015年9月11日(金)

・本城直季写真展「plastic nature」、nap gallery
日本国内の山岳地帯をいつもの手法(逆アオリ)で撮影。単なる自然ではなく、植林された山、あるいは道路など人の手の加わっている箇所だ。自然と人工が交わることでそこにフィクションが生まれる。以前に見たラスベガスのシリーズはその典型で、写真に撮ることでその風景が虚構であることを示しているようだ。


・「TOKYO 8×10 写真展 2015」、目黒区美術館区民ギャラリー
これまでよりやや熱気が薄れたように思ったのは気のせいだろうか。目を見張るような巨大な作品はなく、写真よりもカメラを自慢しているのかと錯覚するような展示もなかった。落ち着いていた、というべきか。一番気に入ったのは火炎土器を撮影したもの。実物を見たことはないが、たぶんそうであろうと思われる迫力を感じた。


・三上浩+達川清 展「QUAU in photo」、POETIC SCAPE
石を打ちつけることで出る火花を超長時間露光で撮影した作品。QUAUとは「硄(コウ)と書き、石の音、石の光を意味する、とDMには書かれている。あまり好きな種類の写真ではなかった。
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by pprivateeye | 2015-09-16 20:00 | Comments(0)

作者は何を考えているのだろう、と知るのも楽しい。

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9月4日(金)

上の写真は丸ノ内線(!)の車内でスマホで撮ってFBにあげたものと同じ写真。いくつかもらったコメントではコワイとか水位に注意とかいった内容だった。しかし、撮った本人が面白いと思ったのはそれぞれの標高の違いが一目瞭然なところだ。災害に対する警戒もしくは予備知識といった感覚はまったくなかった。
だって、荒川の水位がこんなに高いって知ってた? 西船橋駅は標高2~3mだけど地下にある神楽坂駅はそれよりも高い。しかも神楽坂駅は上下線が二階建ての作りになっているので駅は深度が深い。にもかかわらず高架になっている西葛西から原木中山までの駅よりも標高が高いというのは結構驚きだ。あるいは背景の建物だ。葛西臨海公園の観覧車よりも日本橋や大手町の高層ビルのほうが遥かに高い。実際に目にするスケール感からするとこれも、えー、そうなの?、と思ってしまう。


・北井一夫写真展「北京 1990年代」、ツァイト・フォトサロン
以前に北井さんが古いエルマーを使ったことで北京のザラッとした感じが出たと話していたが、今回見た印象はまろやかで柔らかいというもの。それにきれいなグレーだ。大分前のことだが、ガーディアン・ガーデンでのタイムトンネル・シリーズで北井さんのデビュー時からの作品を見たとき、「村へ」のシリーズのコントラストの高さからこの「北京」のシリーズは一転してグレー中心でその豊かさに驚いたことがある。

・鈴木理策展「水鏡」、ギャラリー小柳
森の中の池や池に写り込んだ風景を撮影。一点だけ天地逆さまに見せている作品があった。誰もが取りそうなシーンだなと思いながら見ていたが、何を見せたいのか、何を言いたいのか、何を主張したいのか、ということを考えていた。これ、きれいでしょでは終わらないということだ。これらの写真に何かがあるような気がするのだが、テキストが写真展のタイトル以外にないので見る側が考えるしかない。

・村上仁一写真展「雲隠れ温泉行」、Guardian Garden
2007年に出た同題の写真集が再編集されて発行され、それに合わせた展示。大伸ばしのプリントの他に大四つ切や六つ切のプリントを集中して展示し、さらに両方の写真集、新しい写真集のゲラ、コンタクト・プリント、カラー作品と、全部出しといった感じだ。作品は蒸気機関車が写っていたりしてこれはいつの時代の写真なのかと思ってしまうが、2000年以降に撮られたものだ。作者は当時迷っていて(悩んでいて?)、温泉の湯煙りの中に消えてしまいたいという思いがあったようだ。

・飯沼珠実写真展「FROM LE CORBUSIER TO MAEKAWA」、新宿ニコンサロンjuna21
タイトルにル・コルビュジエ、前川國男という二人の建築家の名前があり、写真はその建築を撮ったものなので建築写真と思ってしまいそうだ。しかも作品は似た建物同士が並べられている。しかし作者の意図(本音?)は建築物そのものではなく、そこに現れた形と色のようだ。モンドリアンが好きと聞いて、改めてそう思った。

・山本雅紀写真展「山本家」、新宿ニコンサロンjuna21
キャプションを読むと、かなり苦労したというか破天荒というか波乱に富んだ作者の家族のようだ。展示は現在の状況らしい。

・Member's Opneing Exhibition「RED」voi.4、RED Photo Gallery
秋元麦路、木村英一郎、西村勇人、吉田耕司
Place Mのあるビルの2階はこれまでM2 Galleryだったが、この8月から写真家16人による自主運営ギャラリーに変わった。今日見たのはそのオープニング展の最後の4人の展示。4人ともPlace Mで見たことのある作品だ。秋元さんが外国人旅行者を自室に泊めた「川の字」、木村さんが女性の体に女性のポートレートを映写した作品、西村さんは理化学研究所の若手研究員を撮影した作品、吉田さんは壁をライムグリーンに塗って「月の街」と呼ばれる韓国の街を撮影。西村さんと秋元さんの作品が好み。

・山田秀樹写真展「私の散歩みち」、Place M
元赤線といった怪しい(危ない?)街を自作の改造カメラで撮影。作者やたまたまいっしょに見た人と話が盛り上がる。作者自身が楽しい人柄で、写真にもそれが表れているように思えた。しかし、全紙サイズで約40点の作品が最近では珍しいパネル貼りで仕上げられており、作業やコスト的に大変だったでしょう、さらに終わった後の保管もかさ張って…と、これも笑い話になった。

・今井宏写真展「Another Planet Reloaded」、Tokyo Lightroom
新宿ニコンサロンでの展示が終わったばかりだが、そのセレクト展示という形。パーティに参加。楽しい話、美味しいお酒や食べ物、ありがとうございました。
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by pprivateeye | 2015-09-09 21:36 | Comments(0)

「美しい写真」

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9月1日(火)

☆「セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター」をBunkamura ル・シネマで観る。1日で、火曜のサービスデだったので通常1800円が1100円となる。
原題:The Salt of the Earth。監督:ヴィム・ヴェンダース、ジュリアーノ・リベイロ・サルガド。
写真家サルガドのドキュメンタリーだが、作品(モノクロ)と実際の映像を交互に淡々と見せている。サルガドの撮影の仕方はあわてることなく、静かに、構図を考えながら、ゆっくりとシャッターを切っていた。何回もシャッターを切るわけではないようだ。特に構図には気を使っているようで、北極熊の場面では「ダメだ。熊の記録を撮っているわけではない。背景に何もない」と言っていた。サルガドの作品はまるで演出したかのような、絵になる場面を撮ったものばかりだが、それは彼の強烈な美意識によるもののようだ。カルティエ=ブレッソンはいい構図になるよう人が通るまで待ったという話があるが、それ以上かもしれない。
近年はデジタル・カメラ(CANON)で撮影しているが、それをA3くらいのサイズにプリントしている。すべてモノクロだ。奥さんが編集を考えるときプリントを壁にマグネットで留めている(畠山直哉さんと同じだ)。ヴィム・ヴェンダースに説明するときも100枚以上のプリントの山から引っ張り出していた。
お父さんの土地は干ばつで荒れてしまっていたが、奥さんが始めた植林によって森が復活したのには驚いた。
世界各地の人間を撮っていたことから、動物などの作品「GENESIS」になったのは必然と言える。撮るものが人間から地球に広がったと言ってもよさそうだ。
原題はマタイ福音書に出てくる「地の塩、世の光」から。


☆「未来をなぞる 写真家・畠山直哉」をイメージフォーラムで観る。前売券。整理券番号はNo.3だった。
監督:畠山容平
今年2月に完成試写会をアーツ千代田で観ている。そのときの感想はここです。
青山ブックセンターでの「気仙川」のトークイベントのシーンでは自分の後ろ頭が写っていた。このトークイベントの模様はこちらです。
気持ちは写らない、しかしその方角は示している(と思う)。
美学の問題。被災地の写真に対して美しいと思うことに対する罪悪感のようなものについて。
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by pprivateeye | 2015-09-07 19:48 | 映画 | Comments(0)
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写真について、極私的な、 あれやこれや


by pprivateeye
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