Private Eye

ppeye.exblog.jp ブログトップ

<   2013年 07月 ( 18 )   > この月の画像一覧

アーティスト・トーク

f0067724_3121472.jpg


7月27日(土)

東京国立近代美術館で「プレイバック・アーティスト・トーク展」を観る。コレクション展での作品の前で作家自身が語った「アーティスト・トーク」の映像をその作品と同時に見せるというもの。これまでの30回のうち、絵画を中心に12人が展示されている。

全員の映像を観る(聴く)つもりでいたのだが、閉館が17時のため残念ながら時間切れになってしまった。
話を聴いた(完全に作品を観ることよりも作家が何を考えていたのかほうが重要になっているw)作家は小林正人、丸山直文、児玉靖枝、秋岡美帆、日高理恵子、長沢秀之、堂本有美の7人。辰野登恵子も聴きたかったのだがダメだった。映像は一人17~8分に編集されている。

何人かの作家が「久しぶりに見ると・・・」と話していて、ああ、絵画は写真と違って自分の作品はあまり手元にないんだなと気付いた。その他では、一つの作品が出来上がるまでに多くのドローイングを描いているんだと感心した。写真で言えばワークプリントを詰めるということに近いのかな。

最も話を聴きたかったのが日高理恵子さんだ。下から見上げた木の枝を描いている。貝殻を細かくした絵の具などを使っていると聴いて、えっ彩色していたのか、と思った。どうやらこれまで見てきた木炭で描かれた作品はドローイングだったようだ。初期の頃は水平に見た木々を描いていたのだが、重力に支配された空間から逃れたくて次第に視線が上向きになっていったらしい。重力云々ということは他の作家の人も話していた。

もう一人、秋岡美帆さんの作品も気になっっていた。まるで風に木々の葉が揺れているのを流し撮りした写真のような作品なのだが、実際に写真をベースにして作成しているようだ。ポジフィルムで撮影し特殊な機械で再現する、NECOプリントという手法らしい。で、そのトークの映像を見終わって腰を上げると後ろで作家自身も観ていた(たぶん)。

これらの映像は会期終了後もアートライブラリで閲覧できるようだ。以前にアンケートでこれらのアーティスト・トークをDVDにしてほしいと書いたことがある。これからも観ることができるのなら年間パスポートでしばらく通ってみるのもいいかな。
[PR]
by pprivateeye | 2013-07-28 03:13 | Comments(0)

プリントの美しさはモノクロだな。

f0067724_22502480.jpg


7月26日(金)

・野尻浩行写真展「新しい季節に抱かれて 4」、TAP Gallery
相変わらず美しいプリントだ。この2ヵ月くらいの撮影とのこと。田舎の夏休みという印象。少しクローズアップの写真が多い。林や藪は植物の細かなところまで見入ってしまう。写真だからこそで、実際にその場にいたらそんなに細かく物を見ることはできない。

・「Director's Choice B&W Exbition Part 2」、EMON PHOTO GALLERY
展示作家はDavid Fokos、飛田英夫、木村尚樹。
デビッド・フォコスは確か8×10で撮影だが、プリントはスクエア。撮影時にマスクか、プリント時にトリミングか。モノクロだが「C Type Print」?
飛田英夫はインスタント・フィルムでヨコ位置4点タテ位置1点。なぜかタテ位置の作品だけ違和感があった。
木村尚樹はスクエアでヨーロッパの古い建物の室内や物。

・「Flower Power 2013」、インスタイ・フォトグラフィー・センター
花・植物をテーマにした有名作家と新人作家の展示。
写真仲間が一人参加している。色味の濃いカラー作品。9点のうち右上の、木の影が写り込んだものが好み。
一番のビッグ・ネームはアンセル・アダムスだが、見飽きた感じがした。
マルク・ル・ムネ(Marc le Mene)のバラがカラーだが色の少ないプリントで興味深かった。ただバラの花が似たような感じがして少々残念。

・「monochrome Ⅷ 'Rain...'」、gallery E・M 西麻布
雨がテーマだが、それにこだわる必要ななさそうだ。稲垣さんの雨に打たれた野球の硬式ボールがよかった。暑くて疲れていたせいか、あまり印象に残らなかった。
[PR]
by pprivateeye | 2013-07-26 23:10 | Comments(0)

神田その2、あるいは昔話

f0067724_12414734.jpg


7月23日(火)

田中長徳さんの文章で強い印象があるのはウィーン時代のものだ。
昼間ウィーンの街中を撮って、夜には東欧の安い印画紙(当然バライタ)にプリントし、それを床に並べて乾燥させておく。翌朝にはプリントは火で炙ったスルメのように丸くなっていて、それらを重ねて写真集などで重しをする。重しをしているのを忘れた頃には真っ平らになっている。そんなプリントが自分の身長と同じくらいの高さになった。という話が好きだ。

東京都中央区の建物を写真を撮りながら見て周るという催しに二度ほど参加したことがある。主催は日本建築家協会の人たちだった。集合場所が銀座三越の屋上で、エレベーターに乗り込んだら小柄だが少し年配のダンディな男性と一緒になった。その人は主催者から参加者に同行してもらう写真家だと紹介があった。それが飯田鉄さんだった。
その後、撮った写真を展示することになり準備の会合にいったときぶら下げていたミノルタCLEを見て「綾織りのいいストラップですね」と褒めてもらった。
当時は中古カメラのブームといってよく、何冊もそういったムック本が出ていた。ミノルタCLEはその中の記事を何度も読み返して買ったものだ。後日その記事の最後に「写真・文 飯田鉄」とあるのを見つけた。

初期のWS2Bの講義は、露出について(座学)、街撮りして次回プリント、ブツ撮りして次回プリント、ポートレート実習してプリント、最後にまとめ、という簡単な内容だった。
ポートレート実習は新宿中央公園だった。終了後、メンバーの知り合いの店で昼食を採り、コニカミノルタでモノクロのキューバの展示をやっているのでみんなで見に行きませんかということになった。その写真家が中藤毅彦さんだった。記憶ではそのときご本人は在廊していなかったように思う。葉巻きをくわえたおばちゃん、窓辺から乗り出す女性など、渡部さん始めみんながその黒に粒子に圧倒された。
[PR]
by pprivateeye | 2013-07-23 13:25 | Comments(0)

V.S神田写真展

f0067724_219718.jpg


7月22日(月)

神田のすずらん通りにある檜画廊で「V.S神田写真展」を見る。写真家は田中長徳、飯田鉄、中藤毅彦、石川栄二、森田剛一。「神田」というテーマだけで写真展の打ち合わせはなかったとのこと。写真展タイトルは飯田さんの書(?)だ。
チョウートクさんのRCのプリントが興味深かった。アサヒカメラに連載中の原稿なのだが、ロバート・フランクや高梨豊、北井一夫などのオマージュがいい。若い頃のチョートクさんや原稿用紙に手書きのキャプション(?)もある。飯田さんはこれまで発表していなかったものとのこと。鉄柱の上部が真っ黒な影で覆われた作品が好きだ。中藤さんは神田川近辺の夜を撮影。石川さんと森田さんはギャラリー・ニエプスのメンバー。石川さんはチェコの印画紙を使って黄色いプリント。森田さんは現在の神田なのにいつの時代かわからない。ちなみに全員モノクロの作品だ。あまり広いスペースではないが充実した内容だ。
[PR]
by pprivateeye | 2013-07-23 02:45 | Comments(0)

自分の作品

f0067724_2154568.jpg


7月21日(日)

・笹岡啓子写真展「Difference 3.11」、photographers' gallery、「Fishing」、KURA PHOTO GALLERY
震災後、多くの写真家が東北に向かったが現在も撮影を続けている人はどれくらいいるのだろうか。今回の笹岡さんの作品は昨年9月以降のもので新しいのは今年4月の撮影だ。これらの作品と、海岸線をテーマに持つ「Fishing」のシリーズは、「自然」というものの大きな力が見え隠れしているようだ。人間を越えた「何か」が捉えられているのだと思う。

・植村美香写真展「オーバーラン」、蒼穹舎
六つ切り、タテ位置、カラー作品。視点が全部少し高いので、尋ねると電車の中からの撮影だそうだ。すべて人物が入っており、面白く見れた。

・沢渡朔写真展「夜」、Place M
以前に見た夜のヌードのシリーズ。今回は女性が大きく写っており、前回より夜の妖しさが希薄になっているように思った。

・早川康文写真展「ワイルド・タウン」、M2 Gallery
カラーで街中にある、少し気になるもの(?)を撮影。人が見えず明るい色調から不思議な感じがした。

・丸山慶子写真展「つばめ」、SHUHARI
作者の地元の新潟県燕市をカラーで撮影。洋食器の生産で有名なところだが、大きな工場などは市外にあり、市内の家内工業的なところは廃れる一方らしい。露出オーバーで撮影されたものをプリントしているので粒子が目立っている。それが、市内の至るところで目にする建物や塀などの錆といい感じになっている。


夜、カロタイプで講評講座。
モノクロのトーンの話になり、ジャコメリは白と黒だけ、カルティエ=ブレッソンは白も黒もない中間調、はたしてどちらがいいプリントなのか。ハイライトからシャドーまでネガにあるものを全部出すのがいいという考え方があるけれど、白岡さんはそうかな自分はネガの諧調を省略している(笑)、という。どちらを採るか、自分の生理に忠実になるのか、イメージに合わせるのか、全部作者の意思次第。結局、自分の作品を作っているのだから。


帰ってツール・ド・フランスの最終ステージ、ベルサイユ~パリを見る。今回は100回記念大会ということで凱旋門をグルッと廻ったり、表彰式では凝った光りの演出と、いろいろ仕掛けがあった。ツール・ド・フランスはチームによる自転車レースだが、焦点はあくまでも個人成績、総合1位=マイヨ・ジョーヌにあるので、アスリートの優秀さをベースにしてそれぞれの駆け引きが複雑になって面白い。で、今年のマイヨ・ジョーヌはクリス・フルーム。強かったなあ。

そのあと続けてMotoGPのU.S.GPを見る。サーキットは、左に曲がってすぐに右に切り返して急に下っていくコークスクリューで有名なラグナ・セカ。1.マルケス、2.ブラドル、3.ロッシ。
[PR]
by pprivateeye | 2013-07-23 02:15 | Comments(0)

<新・午前十時の映画祭>

f0067724_1113515.jpg


7月17日(水)

楽天地シネマズ錦糸町で「サイコ」を観る。
監督:アルフレッド・ヒッチコック、出演:アンソニー・パーキンス、ジャネット・リー、日本公開:1960年。
「午前十時の映画祭」は第三回で終わりかと思っていたら、新となって第四回目も始まっている。前回まではフィルム上映ということにこだわっていたが、今回からはデジタルとなり上映期間も2週間と長くなっている。
「サイコ」はヒッチコックの晩年の作品でこれまで何度か観ているはずなのだが、有名なシャワーのシーンは意外と前半にあった。それだけそのシーンが有名だということか。先日観た「ヒッチコック」でも、シャワー・シーンで観客の悲鳴が聞こえてくるなか、ホールの外でヒッチコック(=アンソニー・ホプキンス)が踊っているところが秀逸だった。


この後、東京国立近代美術館へ行く。所蔵品展の企画で「都市の無意識」というをやっている。
4Fから順に観ていく。マティス「ルネ、緑のハーモニー」。初めて観る。小さな作品だが良かった。中山岩太「蝶(一)」、ソラリゼーション。安井仲治「蝶」「蝶(二)」。
3Fの盛田良子コレクションではデュビュッフェ「土星の風景」が好きだ。写真のコーナーは牛腸茂雄「SELF AND OTHERS」。60点のうち26点が展示。プリントは2003年。キャプションに、他者から投げ返されるまなざしを通じて自己を対象化し、自らの精神の深淵をも見つめようとしていた、とある。
2Fではアルマンド「黒い風景」、イケムラレイコ「インテリア(室内)Ⅰ」。
企画展「都市の無意識」。まず映像「東京もぐら作戦」(1966年)を観る。東京都下水道局企画、岩波映画製作所製作の東京の下水道設置の映画。50年近く前の東京の風景がいい。
写真では畠山直哉「川の連作」(渋谷川)9点。奈良原一高、軍艦島5点。スティーグリッツ「マンハッタン南部」「新旧のニューヨーク」。久保田博二「ニューヨーク市、ニューヨーク州」、上空から摩天楼のパノラマ。勝又公仁彦、Skylineシリーズ、6点。高さとは相対的なもの。スカイラインの本義は空との境界。垂直性ではなく水平性。1m×1.2mの大きなプリント。このシリーズはこれくらい大きい方がいい。高梨豊、ゴールデン街、5点、カラー。金村修「ALL THE NEEDLES ON ARE RED」、8点。くっ付けてピン留めされているw
[PR]
by pprivateeye | 2013-07-18 01:45 | 映画 | Comments(0)

グルスキー作品についての講演

f0067724_1521284.jpg


7月14日(日)

国立新美術館での「アンドレアス・グルスキー展」の関連イベントで、「グルスキー作品について考える ――巨視的に、微視的に」という講演に出席。講師は東京国立近代美術館主任研究員の増田玲さん。
以下、そのときのメモから。1.2.3.は増田さんが提示してそれに合わせて話したもの。

1.展覧会場で観る
「グリーリー」と「99¢」が一つの部屋で隣同士の壁に展示されている。その内容、並びのそれぞれの意味を考える。屋外と室内、生産と消費、斜めと正面。展示空間はわれわれの身体的行動を意識。見せ方では展示の方法論、東京で見せるということを考慮。いろいろなレベルにおける「引いて見る、寄って見る」。

2.作品の位置――写真史的、美術的
空間の中でイメージを楽しむ(美的体験)。一方で、知的な体験。批判的な視点で世界を見る。こういった読み解く楽しみがある。
読み解く手掛かり(背景、位置づけ)として風景にこれまでの写真家はどのようにアプローチしているか。
・風景そのものの美しさ。アンセル・アダムス
・写真家の視点で風景にアプローチ。スティーグリッツ「Eqivalents」。対象(雲)に反応する自分の内面。精神性を写真に閉じ込めようとした。またそれによってわれわれの内面が動く。
・風景自体を読み解くべき対象と見る。「New Topographics」(1975年)。ロバート・アダムス、ステファン・ショア、ベッヒャー夫妻。アンセル・アダムス的風景はフィクションだ。
グルスキーは1980年頃ベッヒャーに学ぶ。
ベッヒャーのタイポロジー(類型学)。ディテールの積み重ねが膨大なアーカイブへ。部分と全体、二重の構造。機能的にイメージを積み重ねる。全体=背景にある時代の精神。グルスキーはエッセンスとして引き継いでいる。
読み解きの対象としてのグルスキー作品は手掛かり(レファレンス)が多い。Casper David Friedrichの絵画「The Sea of Ice」。崇高、壮大なものの精神性。「バンコク」はBarnet Newmanの「Onement Ⅰ」、「F1ピットストップ」は西洋絵画の連想。意図的に過去の美術の歴史を引用しているのではないか。
美術作品を撮った写真、グーグルの衛星写真。作者はどこか、誰か。カメラの後ろに作者がいることは必要か。ポストモダンの考え方。風景にアプローチする自分自身も読み解きの対象としている。絶対的な作者の位置の否定。作者の位置をあいまいにする。

3.その今日的な想像力、感受性
何を表現しているか。現代の社会(風景)。グローバル経済の風景。証券市場のシリーズ。高度な視覚を消費していく。「マドンナ」、ハイパーメディア的体験。マクルーハンのメディアはメッセージである、メディアは世界のあり方、人間の認識を変質させていく。
本城直季「Small Planet」(2006年)。木村伊兵衛賞受賞の際のコメントで篠山紀信は「病的」、藤原新也は「箱庭療法、幼児的対象」と、自分たちは健全で彼は不健全だという意味合いのことを述べていた。しかしピントが一部分にだけ合っているというのは、知りたい対象に一気にアプローチしており、われわれが日常的に物事を知る行為と同じである。われわれの頭の中の操作が外部化されている。今日的、日常的なリアリティがある。ただ、読み解きの仕掛けが多いということが作品の価値を高めているということではない。


グルスキーが過去の美術の歴史を引用しているのではないかという指摘は分かりやすかった。「F1ピットストップ」の例としてダビッドの描いたナポレオンとジョセフィーヌの戴冠式の絵を挙げられていたが、その話を聞いて自分としてはレンブラントの光りを連想した。
部分と全体という視点からの話だったが、「差異と反復」「マス」という面からの指摘はほとんどなかったのは残念だ。単純にまず目が付くのはデザインとして反復ではないだろうか。講演の際にもらったチラシはこのグルスキー展のものと、これから開催されるアメリカン・ポップアート展のものだった。そこにはウォホールのキャンベル・スープ缶が並んでいる。グルスキーのカミオカンデと並べて見比べて、その違いは何だろうかと思ってしまう。
[PR]
by pprivateeye | 2013-07-15 02:44 | Comments(0)

写真の教育はどこにある?

f0067724_211154.jpg


7月6日(金)

ギャラリー冬青でトークショー「亀山仁×渡部さとる」に出席。
ミャンマーへはワークショップのメンバーたちと自己責任ツアーで行ったのが最初。その後、個人的に何度も訪れている。
プリントが美しいのだが話を聞くと、現像の際の液温は20.0~20.4℃とか結構厳密なようだ。そして最後に行き着くところが引き伸ばし機はダーストがいいということだった。

二次会にも参加。渡部さんがサンタフェのレビューで同じ写真で見る手が止まると書いていたので、それはどの作品か尋ねる。写真集「da・gasita」の中にもある、三方が岩に囲まれた波の荒い海の作品とのこと。スクエアのフォーマットで力が中央に集まっているのがよくわかるということらしい。何が写っているかではない。複数のレビュアーが同じことを話すというのは、彼らのベースが共通しているということ、個人の感性で意見を述べれば同じになることはないのだからそれは教育だろうという話になる。
では日本はどうかと考えると、そんな教育があるのかと思ってしまう。写真の批評の際に、歴史を踏まえて作品づくりをしなければみたいなことを何度か聞いたり読んだりしたことがあるが、それをどこで教えてもらうのか。独学では個人の感性に頼ることになってしまい、「歴史」を共有することは無理だと思う。
[PR]
by pprivateeye | 2013-07-15 01:34 | Comments(0)

全体と部分、あるいは差異と反復

f0067724_1594297.jpg


7月5日(金)

・「アンドレアス・グルスキー」展、国立新美術館
65点ほどの展示らしい。これだけの数の巨大で緻密な作品を見ると満足感を通り越して、もういいやみたいな感じになった。個々の作品に連続性があるわけでもなし、あるひとつのテーマで作品をまとめるといわけでもないので、多過ぎる展示は逆に印象が散漫になってしまうのかと思った。
もっとも作品が多いので図録は持っていたほうがいいと思う。ただしこの図録はカタログか見本帳と考えたい。作品が大きいだけに見たときの印象を再現するには不向きだが記憶を確認するには適しているということだ。
その図録によるとグルスキーがデジタル処理を行うようになったのは92年頃かららしい。バブル絶頂期の「東京証券取引所」はまだデジタルではないようだ。そのせいか画面(イメージ)があまり極端にあるいは不自然には見えない。
デジタル処理でわかりやすかったのは「福山」だ。牛のいる厩舎を何カットもつなぎ合わせたものだが、厩舎に番号が付いているので牛が動いていても同じところだとわかる。
「モナコ」「バーレーン」「F1 ピットストップ」は、F1好きとしては面白いのだが不自然さが目に付いた。
ポスターにもなっている「カミオカンデ」はどこまで手が加えられているのかわからないが、たぶん実物のほうがスケールが大きいような気がする。グルスキーにしては珍しく自分の中に取り込んで消化し切れなかったのではないだろうか。
一番新しい「バンコク」のシリーズはそれまでの作品とは構成がまったく異なっている。しかし、光りが反射しゴミの浮かんだ川面は誰もが撮るような写真であり、いまひとつ納得がいかない。タイトルを見ると少なくとも9点はあるようだ。最初の1点で十分なような気がする。
まとめて見ると、初期の作品のほうが好きだ。ある意味では一番グルスキーらしくない「ルール渓谷」がいい。


・亀山仁写真展「Thanaka」、ギャラリー冬青
写真仲間の展示。今日が初日だった。モノクロのスクエア。ミャンマーを何度も訪れて撮影。Thanakaとはミャンマーの女性や子供が顔に塗っている白い樹液のこと。
これまでにも作品は見ているが展示されている中には自分の好きなものは少なかった。以前ギャラリーE・Mでの展示で見た、かつての日本の田舎のような風景が好きだ。
プリントはグレーを中心に美しい。
[PR]
by pprivateeye | 2013-07-13 03:40 | Comments(0)

7/3

f0067724_157515.jpg


7月3日(水)

・「MONOCHROME LANDSCAPE」、Art Labo 深川いっぷく
  大西みつぐ、門井幸子、白石ちえこ、森利博

・「日本写真の1968」、「写真のエステ 五つのエレメント」、東京都写真美術館
企画展2つを同時に見ると区別がつかなくなってしまう。
2Fロビーでは企画に合わせて68年頃の洋楽がBGMで流れていた。この日は「The Beatles / Abbey Road」だった。
[PR]
by pprivateeye | 2013-07-12 19:10 | Comments(0)