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<   2011年 08月 ( 18 )   > この月の画像一覧

<午前十時の映画祭>

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みゆき座で「ベン・ハー」を観る。
監督がウィリアム・ワイラー、主演がチャールトン・ヘストン。制作は1959年。
迫力ある戦車競技の場面が有名で、以前にも観たことがある。解説などでもスペクタクル・ドラマとか書かれている。
しかし、今回観ての感想は宗教色の強いというものだ。
大雑把なストーリーは前半がベン・ハーの苦悩と復活、後半が復讐といえよう。
だが、ベン・ハー自身はその中心にいるだけで、真の主役はキリストではなかろうか。
実際、映画はキリストの誕生で始まり、その処刑でクライマックスとなる。
と思ってウィキペディアで調べたら、原作は1880年にアメリカで発表された小説で、原題は「Ben-Hur: A Tale of the Christ」となっている。
これを見て納得。
新大陸での建国100年を経たアメリカでのプロテスタントによる宗教的な小説だ。
ローマによるユダヤ支配は、イギリスによる植民地支配を連想させたのではなかろうか。
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by pprivateeye | 2011-08-30 23:37 | 映画 | Comments(0)

「何を見せたいのか」

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カロタイプで講評講座。
今日は見てもらう写真はなし。他のメンバーも写真を見せる人は少なく、夏休みか。
そのため、いつもよりも随分早く終了し、その後ビール片手に雑談となった。

白岡さんが何人かの人に話したのは、「何を見せたいのか、何を表現したいのか」ということ。
そこには撮ったものを万遍なく見せるのではなく、作者の視点・視線が必要になってくる。
例えば、森山大道の「帽子」と「子供」はまったく異なる被写体だが、作者の眼を通した写真には一貫したものがある。
あるいはセレクトや写真の並びも、何を見せたいのかということと密接につながっている。というか、セレクトや並びは作者の主張そのものだ。
同時に撮影のときにも、何をやろうとしているのか、はっきりさせおく必要がある。
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by pprivateeye | 2011-08-28 23:23 | Comments(0)

「言葉」

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新宿ニコンサロンで昨日見た写真展の作者によるギャラリートークに参加。
「My Generation」はiPhoneのアプリについての技術的な話が多く、内容について物足りなかった。「よびみず」は表現している世界についてやや言葉足らずのところがあった。

◆コニカミノルタプラザ
・ギャラリーA 中内美帆写真展「Senegambia Dining」
セネガル、ガンビアは西アフリカに位置する。服装や建物からすればかなり豊かなようだ。
食事の際、テーブルを使わない慣習か。そのあたりを作者に尋ねたかった。

・ギャラリーB 野口博行写真展「静止する川」
多摩川は潮流とかの関係で流れが止まるときがあるらしい。そのとき水面に映った建物をシンメトリーに撮っている。
畠山さんの渋谷川のシリーズを連想した。それを尋ねたが作者はそのシリーズを知らないようだった。

・ギャラリーC 齋藤亮一写真展「佳き日 A Good Day」
モノクロで中央アジアを撮ってきた作者が、日本で「ハレ」の日を撮っている。
キャプションに、現在の日本の閉塞状況を抜け出すことができれば、と書かれている。
見ていて幸せな気持ちになってくる。気持ちのよい写真だ。
タイトルがそれを見事に表している。


◆熊谷聖司写真展「THE TITLE PAGE」、ギャラリー蒼穹舎
カラーによる街中のモノのスナップ。
写真展のタイトルにあるように、個々の作品に英語でタイトルが付いている。
何を表現しようとしているのか、考えが及ばなかった。


◆星 恵理香写真展「うたかた」、Place M
風景ではなく、作者の感情を表そうとしているのだろうと思った。


◆鬼海弘雄写真展「アナトリア」、M2
アナトリアとはトルコのアジアの部分を指す。
6×6のポートレートと、この35mmの作品とではコントラストなどプリントの感じが異なるようだ。
人物のスナップというのは写真の最もオーソドックスなものだと思うが、このところそれによって何を表そうとしているのかわからなくなってきている。
写っているものは、記録なのか、作者の内面なのか。


もう一度新宿ニコンサロンに戻る。
ポーフォリオレビューがあり、知り合いが参加している。講師は竹内万里子さん。
写真をやっているからこそ言葉が必要、考えるということは言葉にすること、というような内容のことを何人かの人にコメントしていた。
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by pprivateeye | 2011-08-27 22:34 | Comments(0)

天国への扉?

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◆小栗昌子写真展「フサバンバの山」、ギャラリー冬青
日本カメラに連載された作品。
写真集「トオヌップ」は遠野を撮ったものだが、この連載は一人のおばあさんを追ったものだ。本人もドキュメントとキャプションに書いている。
「トオヌップ」を見ていて、現実が見えなくなっていくような気がした。
現実には生活をしていかなくてはならないし、完全な自給自足ではないので、何らかの経済行為、言い換えれば「お金」に関するものがあるはずなのだがそれが見えてこない。
田舎の生活は見えるがそれがすべてではないだろうに、見る側はそこで立ち止まってしまう。


ギャラリーを出る頃ポツリポツリと雨が降り出す。丸ノ内線に乗り、新宿御苑駅を降りたときには激しい雨になった。
蒼穹舎からトーテム・ポールというコースを諦め、地下街でつながっているギャラリーに変更。
コニミノに行ったら3時で終了。
ざっと見るだけならいいですよということで、阪口智聡 ピンホール写真展「記憶の町 青梅」を駆け足で見る。これがよかった。もっと早く来てじっくりと見たかった。
続いて新宿ニコンサロンへ。ギャラリートークがあるので明日にしようと思っていたのだが仕方がない。


◆上坂怜夫写真展「My Generation」、新宿ニコンサロン
フィルムで撮影し、iPhonのアプリのフィルターを通してプリントアウトしているらしい。
ノスタルジックな、トイ・モードのような印象となっている。
果たしてそれがいいのかどうか。
キャプションでは「今」ということが触れられているが、この手法では「今」の写真が無理やり追憶の彼方に押しやられているようだった。
それが「My Generation」というのなら、The Whoの同タイトル曲とはまったく正反対の世界のように思われる。

◆吉原かおり写真展「よびみず」、新宿ニコンサロン
1500mm×2000mmの大きなカラープリントが10点。すべてタテ位置。カメラは645。
大きくした理由を尋ねたら、見る人に驚きとか異様さを感じてもらいたかったとのこと。
この大きさはフィルムやレンズの質からすれば限界を超えたものだし、イメージも大きくする必然性があるものではなかった。
それでも大きくしたのは、若さのエネルギーだと思う。
写真は手に取って見るものだから無暗に大きいのはどうかという意見があるが、無駄に大きい、羽目を外すというのは若い人だからできることだと思う。
一方で、展示(ピン留め)は業者の人がやっているので水平とか間隔がきちんとしている。極端に大きな作品を自分たちでやると乱雑になるだけだが、プロの手が入っているため展示自体が緊張感を持っている。
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by pprivateeye | 2011-08-26 22:34 | Comments(0)

<午前十時の映画祭>

コルトン・プラザで「タクシードライバー」を観る。
映画を観た直後の感想は、これは「夢」か?
解説などでは現代社会の病理云々とか書かれているが、これは「内なる狂気」が発現したものと思った。
映画の中ほどで主人公のトラヴィスが同じタクシードライバーの先輩に相談するが、結局何も具体的なことは言えずじまいだった。
言えなかったのではなく、不満とか葛藤とかはあるものの、それは気分的なものにすぎず、実は明確ではないにしろ目標なり目的というものをまったく持っていない。
この場面で、若者の気分についての少し前のジョークを思い出した。
「俺はでっかいことをやってやるぜ」「何を?」「何かわからないが、やってやるぜ」
普通、こういうのをバカという。
映画は内なる狂気を描きながら、一気にハイテンションとなる。
しかし、それで終わらず、殺人を問われるどころか少女を救ったということで「英雄」になってしまう。
「英雄」になってしまったことを描いたことで、たぶんこの映画がアメリカン・ニューシネマの終焉と言われる所以だと考えた。
それまでのアメリカン・ニューシネマならトラヴィスの殺人の後、現場に付近の住民やパトカーが集まってくるところで終わっているはずだ。たとえば「バニシング・ポイント」などがそうだ。
だが、その後を描くことで「強固な現実」というものを見せている。
それは、夢はしょせん夢に過ぎないということかもしれない。
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by pprivateeye | 2011-08-25 23:23 | 映画 | Comments(0)

<午前十時の映画祭>

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みゆき座で「アラビアのロレンス」を観る。
3時間47分と長い映画だが退屈はしなかった。
広大な砂漠や、砂丘に舞う砂などは圧巻だ。
しかし、背景が白っぽいときの字幕は読めないときが多かった。
原作はT.E.ロレンスという実在の人物の自伝だが、映画の通りだとすると変な男だ。
長い映画なので途中にインターミッションとして音楽だけのときがある。休憩だ。
この前半は主人公がイギリスとアラブの間で悩んだする場面もあるが、後半になると引き上げるトルコ軍を全滅させるという虐殺場面など悩める個人ではなくなってしまう。
ロレンスとは別のところで面白いのは、イギリスの植民地支配あるいは紛争解決のやり方が垣間見えるところだ。介入に際して彼らはできるだけ当事者となることを避け、そしておいしいところは持っていってしまう。映画の中でイギリス軍の戦闘場面はない。戦っている気配もほとんどない。
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by pprivateeye | 2011-08-24 23:07 | 映画 | Comments(0)

富士は雲の中

4日ほど実家に帰っていました。
雨ばかりですっきりした天気はありませんでした。
でも、どうせゴロゴロしているだけなので大した違いはありません。
かえって、涼しくってよかったかも。


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by pprivateeye | 2011-08-23 23:23 | Comments(0)

<午前十時の映画祭>

コルトン・プラザで「真夜中のカーボーイ」を観る。
タイトルが「カウボーイ」ではなく「カーボーイ」となったのは例の水野さんが絡んでいるらしい。
これもアメリカン・ニューシネマの系列に属する作品。
どれもラストが印象的だ。決してハッピーエンドではなく、厳しい現実を突きつけられた、むしろ絶望的な最後だ。
でも、この手の作品が一番しっくりくる。70年代を挟んで思春期を過ごした世代だからだろうか。
これでダスティン・ホフマンが出ている作品は3つ観たことになる。「パピヨン」「卒業」そしてこの「真夜中のカーボーイ」。「卒業」より良かった。
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by pprivateeye | 2011-08-18 23:46 | 映画 | Comments(3)

似非rainbow

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◆斎藤明彦「drypoint」、TAP gallery
コントラストの強いモノクロ。住宅街などの道を撮影。
自分の作品と似ていて親近感を覚える。

◆藤岡亜弥「Life Studies」、赤々舎
現在、留学中のNYと、学生時代の江古田。断然、江古田の写真がいい。

◆John Sypal「an endless attraction」、TOTEM POLE PHOTO GALLERY
モノクロのスナップ。カメラを持っている人を意識的に撮っている?

◆宮本武「名もない場所」、Place M
タイトルがすごく独善的に聞こえる。
6×9で撮るのなら4×5などの大判ではだめなのか。

◆根本真一郎「ペスト」、M2
モノクロのスナップ。森山大道を連想してしまった。

◆村上雄大「ひこうき雲」、蒼穹舎
この作家を見るのは3回目かな。
今回もポラを使った小さな作品。しかし、掴みどころなくて、ちょっと期待外れ。

◆小栗寿一「風の叫び、波の声」、新宿ニコンサロン
沖縄は特別な場所だとは思うが、常に特別視することには違和感を感じている。

◆重永真智子「京・花街の午後 ~尾形のペット達~」、新宿ニコンサロンbis
タイトルが立派すぎる。



暑い中、頑張って歩いた割にはよかったのは最初の2つくらいか。
マックで休んでいるとき呼び出し。
四谷でG2が返ってくる。
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by pprivateeye | 2011-08-16 23:23 | Comments(0)

<午前十時の映画祭>

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みゆき座で「雨に唄えば」を観る。
同じミュージカル作品だが先週観た「ウエスト・サイド物語」よりも良かった。しかし、アカデミー賞などの賞は「ウエスト・サイド物語」が多く獲っている。
この映画はサイレントからトーキーに移行する時期の映画界をリスペクトを込めて描いている。
劇中劇でもある。そのためか、歌や踊りに必然性があった。

ところで、過去の作品や歴史に対するリスペクトは絶対必要のようだ。
映画とはまったく異なるが、今回のなでしこJAPANへのインタビューでこれまで女子サッカーで頑張ってきた人たちがいるから今の自分たちがあると答えていたことを評価する記事があった。一方で男子の場合は過去の偉大な選手を知らない者もいるのはどうしたものか、という内容だった。
あるいは、写真で作品を作る場合、どれだけこれまでの写真を知っているか、その写真の歴史の延長線上に自分の作品を置いてみてどうかということが常に問われている。
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by pprivateeye | 2011-08-15 22:35 | 映画 | Comments(0)
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写真について、極私的な、 あれやこれや


by pprivateeye
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