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2017年 07月 11日 ( 2 )

東京大学で公開講座

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2017年6月24日(土)

東京大学文学部公開講座 第8回「ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフ ーロシア文学の鬱蒼たる森を探索するー」に出席した。会場は東京大学文学部1蛮大教室。講師は東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授、沼野充義氏。このひとの名前はSFファンならよく知っていると思う。スタニスワフ・レムの作品をほとんど訳している。
大作家三人を1時間半に満たない時間で語るのだからどこか一点共通なところに焦点を当てるしかない。ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』を取り上げていた。神の存在、にもかかわらずなぜ児童は虐待されるか。その子供というテーマをチェーホフは確実に受け継いでいる。チェーホフ自身不幸な幼年時代を送っている。彼の短編「かわいい」をトルストイは激賞したが、まったく正反対の評価も受けている。そのトルストイの『アンナ・カレーニナ』はプーシキン『エヴゲニー・オネーギン』のヒロインの進化したもので、さらにチェーホフ「小犬を連れた奥さん」は『アンナ・カレーニナ』の続編かもしれず、終わりで何かが始まろうとしている。そして、ナボコフ「フィアルタの春」は、それらを引き継ぎながらも唐突に閉じられるヒロインの運命を描いている。
個々の作品や作家は単独で突然現れるのではなく、先行する作家や作品を確実に肥やしにしている、というこういった話を聴くのは楽しいし豊かな気持ちになる。さらにそれらの作品を読んでみたくなる。






  




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by pprivateeye | 2017-07-11 02:47 | Comments(0)

作者のコメントに惹かれる。

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2017年6月23日(金)

・渡邉博史写真展「顔、顔、顔、」、ギャラリー冬青
タイトルどおり能面や人形、実際の人間の顔が特に区分もなく展示されていた。そのせいだろうか、精神病院の患者のポートレート『私は毎日、天使を見ている』あるいはメイド人形を撮った『ラブ・ポイント』よりも緊張感が低く印象が散漫な感じがした。渡邉さんのキャプションの最後は写真を撮る人へのメッセージのようだ。「絵画は一点で作品として完結されているものが殆どだと思う。それに比べて、写真家の場合は、同じテーマで何枚ものイメージを作り、その複数のイメージをシリーズという一つのまとまった集合作品として完結し、それを写真展や写真集として発表することが多い。そこでは一枚一枚の写真の重みもさることながら、集合体としての全体の重さも大事だ。だから写真家は、昆虫採集に夢中な子供のように、常にしつこいコレクターであり続けるべきだと最近思う。」

・CORRESPONDENCE/LANDSCAPE 017「Self-Scape Part1 風景画ー風景写真」西山功一、山神悦子、工房親
西山さんは同時期にMUSEE Fでも展示しており、こちらはいわるゆる普通の写真作品。影に関心があるように見えるが光りを直接捉えたいのかなと思った。
山神さんは抽象的な絵画作品。鉱物がテーマのようでそれぞれに石の名前がついていた。ブックを見て、ここでも作者のコメントに惹かれた。「私の絵は小さなモチーフ、つまり1つの筆触から始まる。その時に頭にあるのは最終的に使いたいと思う漠然とした色彩だけである。1つの筆触が次々と変化しつつ移動を繰り返して大きく迂回しながら最終的な色彩に近づくのだが、時には近似値のような絵になって終わることもある。というより今まで私が描いた絵はみな多かれ少なかれ近似値のように見える。」この言葉からも絵画は写真と異なった身体性を持っているということがわかる。そしていつも近似値ということは決して完成あるいは満足しているわけではないことが伺える。

・谷雄治写真展「SAGAMI 3号」、市兵衛町画廊
展示の最終日で作者の誕生日ということ、会場がバーの一部ということもあって、じっくりと作品を見ることができなかった。作品は小さなサイズでまとめられていたが、これまでの作者の写真では大きなサイズものがよかったのでどうなんだろうと思った。来場者が多いので早々に退散することにした。







  




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by pprivateeye | 2017-07-11 02:16 | Comments(0)