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2017年 04月 17日 ( 1 )

早稲田松竹でヴィスコンティ

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2017年4月12日(水)

早稲田松竹でヴィスコンティ監督の「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1942年)と「揺れる大地」(1948年)を観る。前者は1月に新宿武蔵野館で観て二度目だ。ともにモノクロで、ネオレアリズモの作品に数えられている。他にはロッセリーニやデ・シーカの名前がよくあがる。
たまたまBookoffで見つけた『ヴィスコンティ 壮麗なる虚無のイマージュ』(若菜薫、鳥影社)の分析が興味深い。主題、物語、映像話法、映像主題といった切り口で各作品を分析している。「郵便配達は二度ベルを鳴らす」については後ろ姿の表現性ということを述べている。映画の冒頭、主人公ジーノがトラックの荷台から降りて食堂に入っていくまで主人公の顔が映ることはない。また、大道芸人スパーニャがジーノを旅に誘いに来たが果たせず去っていくときにもその後ろ姿がしっかりと描かれている。こういった細かな箇所というのはよほど映画慣れしていないと見逃してしまうものだ。それについて書かれたものを読み、再度観るときにはストーリーはわかっているのでより細部に入っていける。映画は二度観よ、ってかw
「揺れる大地」は初めて観る作品だ。一言でいえば、漁師が搾取から逃れようとしたが失敗する、という話になる。ヴィスコンティの大きなテーマとして家族の崩壊があるが、それが苦い気持ちとともに描かれている。主人公の漁師ウントーニは独立に失敗して再び仲買人に雇われる。その際、激しい嘲笑をあびるが一切表情は変えず何もしゃべらない。それは屈辱からではなく、信念を持ち誇りを失っていないからだ。先にあげた書籍では、そこには「山猫」のサリーナ公爵と同じ精神的貴族を読み取っている。



  

   



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by pprivateeye | 2017-04-17 23:59 | 映画 | Comments(0)