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ボーッと。

東京都写真美術館「鈴木理策 熊野、雪、桜」展の講演会「持続するまなざし」を聞いてきた。
メンバーは飯沢耕太郎×竹内万里子×鈴木理策。
二人が鈴木理策に聞くという展開。講演会のタイトルにはまったく触れられることはなかった。
今回の展示については「シークエンス」(物語上の繋がりがある一連の断片)ということを三人とも言っていた。
たとえば、桜は雪が降るように見え、火の粉は雪のようにも見える、というように、「つなげる」ということを強く意識したとのこと。
飯沢耕太郎はこれまでの都写美の展示で一番いいと言っていたし、竹内万里子もうなずいていた。

竹内万里子は鈴木理策の熊野での撮影に同行したそうだが、そのときの撮影では鈴木はボーッとしていて、いわゆるシャターチャンスを求めてギラギラしたところがなかった、と言っていた。気配を消していた、とも言う。
こんなことはどちらも言っていないのだが、それは余計な緊張を解き気持ちをリラックスさせ、まわりの気配に対して最高に神経を研ぎ澄ましていた状態だったのだと思う。
なぜこんな推測をしたかというと、山下洋輔が書いていたのだが、ドラムのエルビン・ジョーンズが集中すると顔から表情がなくなり弛緩したように見える。それはまわりの演奏のどんなニュアンスも聞き逃さないように神経を研ぎ澄ましているからだ、というようなことを思い出したからだ。
たぶん熊野の山の中で鈴木理策も似たような状態だったのではなかろうか。

写真行為が写真の中に入り込まないようにしている。見せ場をつくらない。言葉に持っていかれることを避ける。・・・
というように、見ているものがそのまま写真に写るようにしている。
写真集「サント=ヴィクトワール山」ではピントの合わせ方を工夫しているようなのでそのことを質問すると、このときの撮影では撮りたい構図が出てくるのでそれを避け、極力見たままに写るよう、悩みながら考えながら苦闘して撮ったとのこと。

ボーッと。_f0067724_22202621.jpg

by pprivateeye | 2007-09-15 21:46

写真について、極私的な、 あれやこれや


by pprivateeye