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畠山直哉の「美学講義」

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4月6日(月)
銀座ニコンサロンでの畠山直哉写真展「陸前髙田 2011-2014」フォトセミナーに出席した。
講師は畠山さんと伊藤俊治さん。

以前ブログで、最も講義を受けたい写真家として畠山さんの名前を挙げたことがある。その後『話す写真』が刊行され、収められたトークの半分くらいはその場で聴いていた。
今回のセミナーも、伊藤さんは震災に即した方向に話を持っていこうとするのだが、畠山さんはそのことを踏まえながらもアートの話となってしまう。言葉と写真について話しているときが一番熱っぽい感じで、畠山さん自身も学生への講義みたいだなと苦笑いしていた。

以下はそのときのメモから。自分で書いておきながら、前後の文脈からも推測がつくにくいところもあるがご了承ください。
メモを取りながら、やっぱり今回も畠山直哉の美学講義を受けたいなと思った。


・都写美での展示で震災の作品を発表したいと担当の学芸員に話したところ、一瞬とまどうのを感じた。
・アーティストの作品は一貫性があるべきだ、ということに信じられなくなった。
・アーティストはその作品において世界との関わりを示すこと。
・記憶の中の映像は長く続かない。
・ボストン美術館でのタイトルは「Parsonal Landscape」で、個人的な風景はあり得るのかという問いかけ。
・(今回の展示作品の中の)虹の写真でいうと、虹のところに実家があった。すると、そのことを言葉で聞くことで新たな見方が生まれれてくる。
・絶対的な距離をparsonalという言葉に感じる。
・2013年以降、parsonal感が薄れてきている。現在はparsonalどころではない。どこかわからない。
・この変化の動きをもう止めることはできない。
・復興工事の仕事が完了した後の風景が、計画前に考えられた理想のように、そのときでも理想なのかどうか誰も言えない。
・4年前には写真が現在のような展開になるとは予想できなかった。
・工事現場を見ると、80年代以降自分が撮ってきた風景と同じで、衝撃とともにやるせなさを感じる。
・人は年を取る。時間の流れに悲喜こもごも。
・出来事の内側にいるか、外側にいるか。
・どの位置、どんな距離、誰を、ということを考えると「当事者」が変わる。
・視野の広さということ。ヨーロッパから見ると自分の写真も「フクシマ」になってしまう。あるいは、地元で杉の木を利用することに対して川の向こう側とこちら側という区別。
・違和感は写真撮影に備わっている。
・美しさを価値として提示したいわけではない。しかしこいう形でないと見せる意味ががない。頭の中にある、アートの歴史から生まれた理想に近づけようとしてしまう。
・美しさ、良さ(善)、正悪はどこかでつながっているので注意を要する。現在は簡単に説明がつかない。
・「悲しい気持ち」と「美しく仕上げる」、これがつながることにあまり矛盾を感じていない。
・言葉によって写真は方向性を与えられる。
・写真を見ただけではわからない情報を言葉で与えられると、写真の見え方がガラリと変わってしまう。
・キャプションなしで写真を見せる習慣は20世紀に入ってからの最近のもの。
・キャプションなしの写真は出自がはっきりせず、奇妙で不気味なもの。
・写真は元々言葉が付いているものだと思う。
・言葉なしの写真がよいというのはスノッブ(俗物)たちの見方。近代社会のオブセッション(固定観念)。
・写真には言葉が写らない。写真には写せないものが膨大にある。
・我々の世界は物質だけでできているわけではない。
・写真に心が写らない、というスリル。近代のルール。
・(心と物質の)分離をカッコに入れてみたい。
・見えない言葉に支配されている。書かれていないが写真を形作っている。このことに意識的であること。
・言葉によって写真の見えが変わる。それを恐れてはいけない。
・何で撮ってるの? 撮るしかないでしょ、としか言えない。
・個人的な記憶との兼ね合いで撮っていく。
・与論島には洗骨儀式というのがある。そのときの感情は気持ち悪いではなく、なつかしいというもの。一種の愛情。
・なくなっていく「いま」。空間内の物体。それが見えている瞬間。「昔こうだった・・・」というときの「昔」の感覚。物体でなく時間ということ。
・定点観測のように未来に照準を定めているわけではない。
・機械的にルールを定めることで考えなくなることに待ったをかけたい。
・なぜ撮るのか、そのとき考えたい。
・変わることに意識的になりたい、なってもらいたい、という思いで撮っている。
・「ナイーブ」なものが大切に思えてきた。直線的な歴史観ではなく。
・アートの歴史と、伝統芸能の霊的なもの、どこが同じかをいま考えている。
・(関係のないよそ者が被災地を撮ることの是非についての質問に対して)撮りたければ撮る。何か言われたらシュンとしたり、考えたり、そのときどきに反応すればいい。
・「薔薇の花」と被災物を混同しない。
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by pprivateeye | 2015-04-08 23:59 | Comments(0)
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写真について、極私的な、 あれやこれや


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