Private Eye

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天国への扉?

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◆小栗昌子写真展「フサバンバの山」、ギャラリー冬青
日本カメラに連載された作品。
写真集「トオヌップ」は遠野を撮ったものだが、この連載は一人のおばあさんを追ったものだ。本人もドキュメントとキャプションに書いている。
「トオヌップ」を見ていて、現実が見えなくなっていくような気がした。
現実には生活をしていかなくてはならないし、完全な自給自足ではないので、何らかの経済行為、言い換えれば「お金」に関するものがあるはずなのだがそれが見えてこない。
田舎の生活は見えるがそれがすべてではないだろうに、見る側はそこで立ち止まってしまう。


ギャラリーを出る頃ポツリポツリと雨が降り出す。丸ノ内線に乗り、新宿御苑駅を降りたときには激しい雨になった。
蒼穹舎からトーテム・ポールというコースを諦め、地下街でつながっているギャラリーに変更。
コニミノに行ったら3時で終了。
ざっと見るだけならいいですよということで、阪口智聡 ピンホール写真展「記憶の町 青梅」を駆け足で見る。これがよかった。もっと早く来てじっくりと見たかった。
続いて新宿ニコンサロンへ。ギャラリートークがあるので明日にしようと思っていたのだが仕方がない。


◆上坂怜夫写真展「My Generation」、新宿ニコンサロン
フィルムで撮影し、iPhonのアプリのフィルターを通してプリントアウトしているらしい。
ノスタルジックな、トイ・モードのような印象となっている。
果たしてそれがいいのかどうか。
キャプションでは「今」ということが触れられているが、この手法では「今」の写真が無理やり追憶の彼方に押しやられているようだった。
それが「My Generation」というのなら、The Whoの同タイトル曲とはまったく正反対の世界のように思われる。

◆吉原かおり写真展「よびみず」、新宿ニコンサロン
1500mm×2000mmの大きなカラープリントが10点。すべてタテ位置。カメラは645。
大きくした理由を尋ねたら、見る人に驚きとか異様さを感じてもらいたかったとのこと。
この大きさはフィルムやレンズの質からすれば限界を超えたものだし、イメージも大きくする必然性があるものではなかった。
それでも大きくしたのは、若さのエネルギーだと思う。
写真は手に取って見るものだから無暗に大きいのはどうかという意見があるが、無駄に大きい、羽目を外すというのは若い人だからできることだと思う。
一方で、展示(ピン留め)は業者の人がやっているので水平とか間隔がきちんとしている。極端に大きな作品を自分たちでやると乱雑になるだけだが、プロの手が入っているため展示自体が緊張感を持っている。
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by pprivateeye | 2011-08-26 22:34 | Comments(0)